2015年07月17日

ニコマートFTN


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実にしっかり作られたカメラである。ニコマートFTN、登場は1967年だから、あと二年でちょうど半世紀が経とうとしている。当時二コンFに次ぐナンバー2のポジションにいたカメラだ。ナンバー2と云っても、時代背景を考えるとカメラを持つこと自体が世間的に高嶺の花であって、そうそう買える代物ではなかっ た。ましてや一眼レフカメラはメーカーがどこであれ「高級品」と思われていた時代。たやすく手にすることは出来ないカメラだった。

FTNは1965年に発売されたFTの改良型で1975年まで製造されたロングセラー機。きょうびのデジカメのライフサイクルと比べるまでもないが、のちのFT2(ホットシューの固定化)、FT3(Ai機能搭載)へとマイナーチェンジを果たし、1977年までの実に12年間続いたシリーズであった。77 年ニコンFMの登場で、ながく親しんだ「ニコマート」の名称は消えた。しかし中古市場では、いまだにコンスタントに目にすることのできるカメラであって、それはこのカメラが大いに支持されたことの証でもある。

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この時代のカメラなのでボディは当然のごとく金属製で、剛性も高い。この時代に造られたカメラの特徴でもある。シャッター速度の調整は、レンズマウント部付近に配されたレバーで行なう。そのため上部はすっきりしたスペース。フィルム巻き戻しクランク隣の四角い窓は露出計。ノーファインダー撮影時など(見易さは別として)重宝する(かもしれない)。ミラーアップも可能で、当時としては当たり前だったかもしれないが実に助かる機能である。

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レンズの絞り値を、ボディ内の露出計と連動させるための伝統儀式を味わえるのも、いまや懐かしさを通り過ぎて新鮮ですらある。ニコマートFTN、写真を撮る道具としての指数は限りなく100に近い。
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2015年07月03日

キヤノンA-1


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高校二年を目前にしたある日、僕はカメラ雑誌の新製品の広告に目が釘付けになった。そこにはThis science fact.というキャッチコピーと新製品「A−1」が、まるで宇宙空母の如く描かれていた。これまでに見たこともない広告デザイン、そして「カメラロボット」というキーワードが、もしかしたら写真の世界を大きく変えるかもしれない。そんなイメージが妄想の如く膨らんだ。それがどういうものなのかは極めて抽象的であり、言葉に起こすことも出来なかったけれど、ワクワクしたのだけは覚えている。

ファインダーの表示は赤色のLEDになり、これまでの「針」で指し示す機種との「格好よさ」の度合いは天と地ほど離れていた。はじめて手にした電卓、デジタル時計のときも感動したけど「A−1」はその比ではなかった。とにかくインパクトが強かった。F−1、EF、AE−1というラインアップからEFが外れ、A−1というルーキーが突如として3番に入ったという感じだった。球場内では大きなどよめきが起こった。

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このルーキー、機能に関しては「てんこ盛り」で4番のF−1でさえ脅かすほどだった。まずは露出の制御。シャッタースピード優先AE、絞り優先式AE、プログラムAE、絞り込み実絞りAE、スピードライトの光量調整もAEとなり、1台で5つものAEを搭載していた。一粒で二度美味しいグリコもさぞたまげたことだろう。この時代、さすがにピント合わせはマニュアルであったが、モータードライブかワインダーを装着してAEモードをプログラムに設定すれば、シャッターボタンを押す人差し指に撮影のすべてを託すことが出来た。

写真部にピッカピカのA−1を抱えるようにして入部してきた後輩がいた。早速注目されたわけだが、その視線の先はもちろん彼ではなくてA−1であったことはいうまでもない。先輩の特権として「ちょっと貸せ」となるわけだが、正直操作の方法に戸惑った。マニュアルを基本とした撮影経験しかなかったので、ファインダーに表示される数字、とくに絞り値には唖然とした。F6.3、F9、F13・・・? 絞り値は1.4、2、2.8、4、5.6、8、11・・・であってEV値の、あの表を覚えるのに躍起になっていたのに、いったいなんなんだ・・・と(笑)。ちなみに後輩が選んでいたモードはプログラム(P)であった。なのであだ名は「P」だった。

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絞り優先AEでも、レンズ本体の絞りリングではなく、ボディ側で絞り値を選ぶというのにも大きな違和感があった。その他、カメラの操作という点で、従来のカメラとは大きくかけ離れていた(いま思うと大したことはないけれど・・・)。

あれからずいぶん時間が経ってしまって、いま目の前にあるA−1を見てみるとオートフォーカス以外の機能(精度はともかくとして)はデジカメと、そう変わりはない。機能の進歩はこれからも続くことだろう。性能のいいカメラが次々に出てくるのに、写真表現(自分の写真も含め、風景写真)にマンネリを覚えるのはなぜなのだろう?車にも云えることだが、すばらしい安全装置が開発されているにも関わらず悲惨な事故は絶えない。

所詮、道具を操る人間の側に問題があるのだろう。生身の人間はロボットにはなれないのである。
posted by 生出 at 07:29 | Comment(0) | フィルムカメラ

2015年06月24日

オリンパスOM-1


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OM−1が世に出てから、すでに42年という時間が経過した。僕が始めて一眼レフを意識したのが、このOM−1であった。あれは中学校一年のとき、理科の小林先生が持っていたブラックボディだった。小さいながらも撮るための道具としてのオーラが強烈に放たれていたのを覚えている。我が家のヤシカエレクトロ35とはファインダーの見え方、シャッター音、巻上げのフィーリング・・・何から何まで違っていて、僕はあっという間に一眼レフの虜になってしまったのだ。

これが大人の物欲に目覚めた瞬間だったのかもしれない。つまりは子供からの脱皮であったわけで、以来その種の物欲は、強弱はあるものの継続している(笑) 

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OM−1には多くの逸話が残っている。

発売当初はM−1という名称であった。しかしライカ社のM−1と製品名が被るという理由でOM−1に変更された。大きく重たいという当時のカメラの二代欠点をクリア。以後、他社の小型ボディ開発を刺激した。ニコン、キヤノン同様のシステム開発にも目を惹いた。マクロから広大な宇宙までを撮影エリアに見据えた膨大なレンズ、アクセサリーを含むシステムは、単に物欲を満たすだけのものではなく、生出少年の生き方にも大きな影響を与えたのはいうまでもない。OM−1といっしょにいろんな世界を見るんだ!と拙い冒険心、青臭い正義感・・・いろんな思いが芽生え始めたのだ(いまだに拙さや青臭さが抜けないのは、当時の思いがよほど強かったからだろう)。

結果としてオリンパスを手にすることはなかったが、いまもし新品(あるいは新品同様)で手に入るのなら・・・「購入する」ボタンをポチッと押してしまうかも。

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残念ながら、いまの僕の物欲を満たすような固体にお目にかかることはない。理想としては白と黒のボディを1台ずつ。レンズは28ミリ、50ミリ、100ミリ、200ミリあたりがあればいいのだけど・・・。OMシステムとトライXの100フィート缶を二つ、三つ、マスミの革バッグに入れて旅に出れば、生出少年の夢が実現する(笑)
posted by 生出 at 12:46 | Comment(0) | フィルムカメラ

2015年06月15日

ミランダ・センソレックス


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ミランダのセンソレックスは1966年に発売されたのち、数回のマイナーチェンジが行われ、1972年同機の最終型センソレックスUまで生産された比較的息の長いモデルだった。ミランダという社名を知る人は少ないだろう。ミランダは1976年に倒産してしまい、一部カメラマニアの間では幻のカメラとして珍重されているようだ。

1974年・・・僕がカメラに目覚めた年・・・カメラショーのカタログには、しっかりミランダのカメラが掲載されていた。しかし国内での人気は芳しくなかった。僕の周りでは話題にのぼることは皆無に近かったし、新品・中古共にカメラ屋さんの店頭で見ることもなく、ミランダユーザーに会うこともついぞなかった。同社は輸出に重きを置いていたようなので、見る機会が少なかったものも無理はない。

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かなり酷使されたのか、あるいはわざと箔をつけるために塗装を剥がしたのかは定かではないが年季の入ったボディだ。ファインダー交換が出来るのも当時のカメラとしては珍しい。ニコンF、F2、キヤノンF−1、ミノルタX−1などフラッグシップ並みである。同機には標準のアイレベルの他にウエストレベルファインダーなど数種類があったようだ。マニアとしてはアクセサリーを含め、システムを完璧に近い形に揃えるのが夢である。いまさらながらではあるが、マニア心をくすぐるシステム構成だ。

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ボディのデザインは微妙にRを付けるなど、当時の直線基調のデザインとは一線を画している。僕は加工の専門知識は持ち合わせていないが、同社にはそれなりに高度な技術があったのだろうと想像している。このカメラ、実によく作り込まれている。ただ・・・部位の完成度は高いのだが、組み合わせるとバランスの悪さが目に付く。好みはあるだろうが、正面の光の輝くクロスをあしらったデザインはどうなんだろう?

そんなミランダと2015年6月、ついに出逢うことが出来たのである。一期一会の思いで撮影をした次第である。
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2015年06月10日

オリンパスXA3


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1985年発売の「オリンパスXA3」である。ボディはプラスチック製で剛性は弱いものの、加工しやすいプラスチックだからこそ、このデザインが産まれた。携行するときはレンズをおおうようにフロントカバーをスライドさせる。卵のように丸味を帯びた形が可愛らしい。3の前のXA2はグッドデザイン賞を受賞している。

ピント合わせは3点式のゾーンフォーカス式。レンズ脇にイラストがあってレバーをスライドさせる方式だ。近景(人物の胸から上)、中景(全身)、遠景(山)の3段階になっているのだが、どれを選ぶかは撮影者の感覚による。三択の女王「竹下景子」でなくても、極端な近距離以外は外すことはない(と思う)。

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ストロボは外付けで、ご覧のようにボディサイドに取り付ける。デザイン的に一体感がある。よく考えられている。ただしちょっと幅が長くなるので、ズボンのポッケに入れるのは膨らんで格好悪いかも。

ペン、OMシリーズ、そしてこのXAと独創的なデザインを得意とするオリンパス。デジカメにおいてはペン、OMがすでにシリーズ化されている。残すはこのXAシリーズのみ。それなりに支持はあると思うけど・・・どうですかオリンパスさん、出してみては。
posted by 生出 at 07:54 | Comment(0) | フィルムカメラ

2015年05月26日

キヤノンFTb


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1966年発表のキヤノンFT(絞込み測光)が開放測光に改良されたのがFTb。71年に発表された。巻上げレバーと多機能レバー(セルフタイマー、ミ ラーアップ、絞込みレバーを兼ねる)のデザインを変更したのが、この写真のFTbでFTb−Nと表記されることもある。73年にマイナーチェンジが行われた。同時代のフラッグシップ機F−1も巻上げレバー、巻上げ角度の変更、シャッターボタン受け皿が変更されたF−1Nが存在する。80年代初めに発表された、いわゆるNew F−1とは異なる。

FTbはキヤノンの中級機という位置づけで、上位機種F−1との差別化として、ファインダー、スクリーンの固定、モードラ装着不可、最高シャッター速度は 1/1000秒におさえてあった。シャッターは布幕で横走りだ。ちなみにF−1には同じ横走りでもチタンが使用されていた。測光はファインダーを覗いて中 央の四角い部分で、これはF−1と同じで画面の12パーセントのみを測光する部分測光方式をとっていた。

この部分測光は癖があって、測りたいモノをいちど画面の中央に配置し測光後、構図を再度やりなおすというツーアクションが必要だった。これも慣れてしまえば、どうってことはない。撮影数をこなせばモチーフと背景の露出差はなんとなくわかるもので、カメラ側の癖を掴むことも楽しみのひとつである・・・と僕は思っている。

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FTbのいちばんの特徴はQL(クイックローディング)であろう。上の写真がQLのキモの部分である。フィルムの先っぺを赤い印に合わせて裏蓋を閉めればOKと云うもので、装填のわずらわしさを解消する為に開発されたものだったが、評判が良かったという話は聞いたことがなかった。莫大な開発費用と時間をかけたわりには残念な結果に終わってしまったようだ。機能は「ふ・つ・う」がいちばんである。

それにしてもこの時代のカメラは、どれも重たい。キヤノンのサイトによるとボディのみで750グラムとある。装着するレンズにもよるのだろうが、カメラ本体の大きさ、そして金属製ボディという印象から来るのかもしれないが、とにかく重たい。首や肩からぶら下げて一日を過ごすのは・・・言い過ぎかもしれないが・・・拷問に近いかも。
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2015年05月20日

ペンタックスSP


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僕はペンタックスの名を聞くと反射的に「旭光学」の三文字が頭に浮かんでしまう。いまだに・・・である。ペンタ部に配されたAOCo(Asahi Optical Co)のマークから一眼レフ製造メーカーとしての意気込みを強く感じていた。1976年、初めて手にした「日本カメラショー」の総合カタログのトップは旭光学であったわけだが、手にした生出少年は、お勧めのメーカーとして旭光学がトップなんだと思い込んでいたのだった。単純に50音順で並んでいることに気づかなかったのだから恥ずかしい限りである。ペーパー上ではあるが、写真の世界の扉を開け、はじめてお見合いをしたカメラが旭光学だった。

2002年、社名を旭光学からペンタックス株式会社へ変更した際、カメラショーの掲載順も後ろになってしまい、かなり違和感を覚えた。

会津に移り住んでから風景写真を撮り始めたのだが、そのときのカメラがペンタ6×7と初代645だった。ペンタックスとのお付き合いは中判が中心で、35ミリカメラとは縁がなかった。ようやく35ミリのペンタックスと僕が結ばれたのは、15年ほど前、酔狂が過ぎて中古のSLとS2を購入したときだった(まだ手元にある。そういえばLXとも一時、同居していた)。

さて前置きというか、関係のない話になってしまったが、このSP、発売開始は昭和39年で、その後10年間製造が続けられた。昭和39年と云えば東京オリンピック開催の年である。写真のSPが何年式なのかはわからないけれど、いずれにせよ、この世に生まれてから半世紀近くは経っていることになる。

久しぶりに手にしてみたSPは、以外にもずっすりとした重さだった。装着されているのはタクマー55ミリのF1.8。マウントは伝統のM42スクリューマウント。スクリューマウントのカメラを手にすると決まってキコキコ(実際音はしない)とレンズを回して外してしまうのはなんでなんだろう?体が自然に動くのには、きっと何か理由があるのだろうね。でもその理由を考えてもしかたない。

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おもむろに巻上げレバーに親指をかけてみる。巻き上げレバーの感覚が日常から遠ざかってしまった昨今である。ゆっくりと巻き上げてシャッターボタンを押してみる。シャッター幕はゴム引き布幕で横走り。Sシリーズ独特の軽い作動音である。低速では機械式シャッター特有のじぃ〜っという音が耳に心地よい。余談だが電子式の低速シャッター音は無音で、まるで心臓が止まったの?と一瞬とまどってしまう(笑) 

シャッターダイヤルにはフィルム感度設定のための窓があり、そこにはASA( American Standards Association・・・米国規格協会)とDIN(Deutsche Industrie Normen・・・ドイツ工業規格)という懐かしい文字が。今現在、ISOよりもASAの方がしっくりと馴染む僕である。

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SPは1973年のSPF(開放測光)、そして1974年、SPにホットシューを付けたリバイバル機SPUと、ほんの少しの拡張性を見せたものの、次のKシリーズへとバトンタッチをし、その使命を終えた。機能的な拡張性は狭かったものの、シンプルな構造と耐久性のあるボディは多くのプロ、アマの写真家に支持され、写真表現の広がりには大いに貢献したのだった。
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2015年05月14日

ミノルタXE


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ミノルタがカメラ事業から撤退して久しい。いつのまにかコニカとくっついて社名がコニカ・ミノルタになっている。コニカもフィルム・カメラ事業から足を 洗ったので、現在2社旧製品のメンテについては株式会社ケンコー・トキナーが窓口となっている。この会社も社名を見ればおわかりのようにケンコーとトキ ナーが合併した会社である。ペンタックスもいつのまにやらリコーの傘下だし、コンタックスもなくなったし・・・僕がカメラに興味を持ち始めた1970年代 中ごろの勢力図は大きく塗り替えられてしまった。

ミノルタXEは1974年に発売された絞り優先AEカメラであった。当時のミノルタのフラッグシップ機はX-1で、キヤノンF-1、ニコンF2同様ファイ ンダー交換も出来たし、モードラ仕様の機種(X-1モーター)もあった。レンズも充実のラインナップであったと記憶している。しかしミノルタの人気は低 かった。ミノルタがプチブレークしたのが1977のXD、大ブレークしたのは1985年、初のオートフォーカス一眼レフカメラα7000の登場のときであった。

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XEの最大のトピックはなんといってもライカR3ボディの元になったことだろう。XE販売の前年、ライカと共同開発したライツ・ミノルタCLが世に出て、 ミノルタとライカの関係は、人に例えるなら青春時代に付き合った恋人同士という感じだろうか(あくまでも僕個人の勝手な思い込み)。その後、別々の道を歩 くのも、よくある話で、そうそう思い出した。僕がはじめて手にしたカメラのカタログが、このXEだった・・・。いまはもう懐かしい思い出となった記念写真のように久しぶりに目を通したのだった。

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2015年04月23日

ニコマートEL


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ニコン一眼レフ初の絞り優先オートカメラ、「ニコマートEL」は1972年の発売。ペンタ部分の「EL」のロゴが印象的。この場所にロゴの入ったニコンの カメラは「F」(1959年)、「ニコレックスF」(1962年)、「EM」(1980年)、そして「EL」シリーズだけである。シリーズと書いたのは、 後年、ワインダー使用の「ELW」、ニッコールレンズがAi化されたときにリファインされた「ニコンEL2」というモデルがあったからである。

一時期、ワインダー付きのEL2を手にしたことがあった。20年近く前になるだろうか?若気の至りで中古品を手に入れたのだ。85ミリの1.4、105ミ リの1.8を装着した姿は格好がいいなぁ〜と、ニヤニヤしながら眺めていたのだが、撮影の段になるとその重さに顔も歪んでしまう。

三脚使用が前提のシノゴや中判カメラなら重量は気にならないけれど、機動性を求められる35ミリカメラで手持ち撮影が苦痛となると出番が少なくなるのは必然で、早晩手元から去っていく運命を辿ってしまうのであった。

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今回、ひさしぶりに再会することができた。ずっしりとした重量感は相変わらず。ELはブラックボディが一般的で目にすることも多い。もしかしたら白いボ ディを触ったのは初めてかもしれない。この固体、年代からみると驚きの美しさである。さすがに新品の匂いはしないものの、質感は新品に近いものがある。も しかしたら世界一きれいな「ニコマートEL」かもしれないな、などと思ったのだった。コレクターの方にはお勧めの一台である。
posted by 生出 at 22:31 | Comment(0) | フィルムカメラ

2015年01月09日

ヤシカ エレクトロ35


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初代「ヤシカエレクトロ35」は1966年に発売され、その後、部分的な仕様の改良を重ねると共に他社のコンパクトカメラに対抗すべく小型化・軽量化など仕様の改良を図り、75年発売されたGXを最後に全世界で500万台も売れたロングセラー機であった。

我が家にあったのはブラックタイプの「エレクトロ35GT」だった。このカメラのキャッチコピーは「ろうそく一本の光でも写る」であった。実に時代を反映したコピーである。昭和40年代のはじめ、電灯を使わず、ろうそくだけで夜を過ごす家庭は多分ほとんどなかっただろうが・・・しかし、いまよりもずっと身近な日常品としてろうそくは存在していた。そんな微かな光でも撮影できるカメラが我が家にあるなんて、子供心に「豊かさ」や明るい「未来」のようなものを漠然としつつもイメージしたのを覚えている。なによりも「エレクトロ」という近未来的な言葉が輝いて見えた。

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アポロの月面着陸、大阪万博の開催、そしてドラえもんの連載開始などに象徴される出来事が、さらに未来への希望を膨らませることにつながった。手にした「ヤシカエレクトロ35」のずっしりとした重みは、それを確約しているかのようにさえ感じていたのだった。

長らく我が家のメインカメラだった「ヤシカエレクトロ35」であったが、僕が高校入学以降、撮影で使うことはなくなった。隠遁生活を送る彼をたまに手にして、その質感を愛でるだけの存在になってしまったが、東日本大震災で自宅が全壊してしまい以来行方知れずになってしまった。僕にとって一生忘れられないカメラが「ヤシカエレクトロ35」なのである。
posted by 生出 at 07:50 | Comment(4) | フィルムカメラ

2014年12月17日

ニコンFM3A


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2001年に発売されたニコンFM3A。すでにこのブログで紹介した同社のマニュアル機FM系と絞り優先オート機FE系のいいところを融合させた複合機である。

1999年にはプロ用デジタル一眼レフ「ニコンD1」がリリースされ、時代はゆっくりではあるがフィルムからデジタルへの移行が始まった。「D1」の出現は、遙か沖で発生した小さな波という印象だった。しかしその波は徐々に、そして着実に本土へ迫っていたのだ。当時をふりかえると、まだまだフィルムにアドバンテージがあったものの、2002年デジタル一眼レフ「ニコンD100」の出現で、デジタル化の波は足元を浸すどころか、あれよあれよと云う間に腰の高さにまで達し、その勢いはついぞ止まることはなかった。

2004年にフィルムカメラのフラッグシップ機としては、実質上最後となる「ニコンF6」が突如発表され、世の中は大いに驚いたものだった。この時点で「まだフィルムカメラを出すの?」が大方の素直な感想だった。たった数年の間に、世の人々はデジタル化の波に器用に乗り、これまで馴染んだフィルム大陸から離れ、新天地であるところのデジタル大陸へ上陸を果たしていたのだ。

いまやフィルム大陸は侵食が進み、かろうじて標高の高かったほんの一部分が海上に頭を出すのみである。それはあたかも松島や瀬戸内海に浮かぶ小島の如くという体たらくだ。朝日、夕陽に照らされる島々の姿は美しいが、その姿すらいずれ忘れ去れる運命なのだろう。

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いちばんうしろがニューFM2、真ん中がFE2、そしてFM3Aである。この先が続かなかったのが、ほんとうに残念である。なおニコンではFM3Aの取扱説明書がダウンロードできる。興味のある方はこちらよりどうぞ。
posted by 生出 at 12:40 | Comment(0) | フィルムカメラ

2014年12月11日

キャノデートE


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いまさら云うまでもなく、写真は記録であったり、記念であったりするわけだ。不思議なもので自分が撮影した写真であればどんな類のものであっても、いずれは思い出がにじみ出てくるものだ。記録として撮影した学術的な写真であってもそれは云える。友人、知人、家族が写っている写真なら、それはなおさらのこと。

昭和45年に発売されたキヤノンの「キャノデートE」は、写真に日付を写しこめる初のカメラだった。画期的な機能として世の中に受け入れられた。正面、右側にあるのが年月日を合わせるダイヤル。もちろん手動である。なので撮影する時に「今日は何日?」といちいち確認しなければならなかった。

正月の家族写真の撮影ではとくに注意が必要で、一年に一回だけ「年」を動かすタイミングが、この時なのである。オトソ気分でうっかり八兵衛をやらかしてしまうと、5年10年〜と時間が経つと、撮影した年に確信が持てなくなってしまう。

でも、それもアナログの良さである。正しい年月日の記録よりも、人生の刹那を写しとめたことのほうがはるかに大切なのである。なので夏休みの旅行で撮った記念写真の月日が12月28日でもかまわないのだ(笑) 日付の正確さは別として、画面に表示されている年月日には、二度と再び触れることの出来ないあの時間の意味合いをも感じさせてくれる。

デジタル時代になって撮影時の年月日はもとより正確な時間、使用カメラ、レンズ、シャッター速度、絞り、ISO感度、位置情報・・・などなど余計?なこともファイルに埋め込まれてしまう時代である。うっかり八兵衛の出番もほとんどなくなってしまった今日のこのごろなのだ。

せっかくなのでキヤノンの主だった日付写しこみカメラを並べて記念写真を撮ってみた。2台目がデートマチック(昭和49年発売)、3代目がA35デートルクス(昭和52年発売)。
posted by 生出 at 12:35 | Comment(0) | フィルムカメラ

2014年10月31日

ニコンFE


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「シンプルニコン」のキャッチフレーズを標榜し登場したのが初代「ニコンFE」であった。1978年のことだ。ニッコールレンズがAi化されたのが前年の1977年。そのときニコマートEL(ELW)がニコンEL2になりAiレンズ対応となった。短命で終わったEL2であるが、FEの受光素子、露出制御などはEL2が元になっていた。FEの大きさ、シルエットは77年に発表されたFMと似ていて、一般の人には見た目には区別は出来なかっただろう。

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時はAi化直後であるから、圧倒的多数を非Aiレンズが占めていた。そのためFM、FEともにマウント外側にあるAiレンズ用の露出連動レバーを引き 上げて非Aiレンズを装着できるようになっていた。しかし非Aiレンズ装着時は絞り込み測光だったので使い勝手はいまいち。そういえば当時、Ai対応ボ ディを購入し、保証書を提示すれば旧レンズ一本を無料でAi化するサービスがあったように記憶している。

FE2、FM2では、このレバーが固定されてしまった。ずいぶんあとになって手元にあったニューFM2を引き上げ式に改造できるかとニコンに訊いたら 「承っておりません」と云われた。改造したところで、僕は非Aiレンズを持っていなかったので、まったく無意味な改造なのだけどね。ちょっとした部分のカスタマイズで、人とは違う個体を持っているという「優越感」に浸りたかった、ただそれだけのこと。

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FEが登場してから、すでに36年が経過した。ごくたまに行く家電量販店には各社のデジカメが並んでいる。そのことに何の違和感も持たなくなってしまったが、そのむかし、カメラはカメラ屋さんで買うのが当たり前だったことを、妙に懐かしく思い出すのだった。

posted by 生出 at 12:48 | Comment(0) | フィルムカメラ

2014年10月23日

ニコンFE2


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初代FEが78年に登場し、FE2は83年に発売された絞り優先AEを搭載した中級機であった。FEからの変更点は最高シャッタースピードが1/1000→1/4000へ、X接点が1/125→1/250へ、機械式シャッターが1/90→1/250へそれぞれ変更された。当時ニコンのフラッグシップ機はF3、次いでFAがあり、FE2はナンバー3のポジションであった。F3、FAがジュージアーロの洗練されたデザインであったのに対し、FE2は昔ながらの一眼レフ的デザインで、兄弟機であるFM2とともに「F3、FAグループ」とは異なる雰囲気が漂っていた。僕としては近未来的なデザインよりFにはじまるクラシカルなシルエットのFE2の方が好きだった。

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デザイン的なことを言えばフロント左に刻印された「FE2」のロゴはちょっといらないかな・・・と今でも思っている。無いほうがいかにも道具っぽくなると思うのだが・・・。ちなみに初代FE、FMにはロゴは無かった。せめて袋文字はやめて、小さく遠慮がちに配置してほしかった。
まぁ〜ロゴの有無が撮影に影響を与えることはないのだけどね。話は飛ぶが、小中高とネームプレートを付けるよう教師から強制されていた。少し時間が経てばそんなもの無くても顔を見れば、何組の○○くんだ、とか判るわけで、そういう意味で固体を識別するためのロゴはいらない・・・というのが僕の主張。中身がよければ(よくなくても?)いずれ世間に存在が認められるのである。

さて、そんなFE2の中身であるが実にシンプルである。道具としてこれ以上望むところはない。マニュアル露出の場合の追針式表示も好感が持てるし、これはマニュアル専用のFMよりも断然見やすかった。モータードライブを装着すると軽量のボディもそこそこの重さになる。僕はこのスタイルが好きだった。ただ巻き上げのモーター音は、ちょっと安っぽかったかな。F3+MD4の上質な?音と比べるとがっかりしたものだった。

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FE2はニューFM2とともにロングセラー機となり、2001年には両機の機能を合体させた「FM3A」となり、その役目を終えたのだった。
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2014年09月16日

コンタックスRTSU


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ツアイス・イコン社製のコンタックスT型が世に出たのは1932年というから、かなり前のことになる。第二次世界大戦後、ドイツが東西に分断されツアイス・イコン社も同様に泣き別れた。時を経て西側では日本のヤシカがコンタックスブランドとライセンス契約を結び生産することになる。1975年のことだ。そのとき登場したのがコンタックスRTS。カメラのデザインはポルシェが担当し、以降日本製コンタックス一眼レフの基本的なシルエットとなる。


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RTSUはRTSの後継機種で1982年に発表された。故障の多かったRTSの中身を一新し、満を持しての登場だった。発売当時の価格は50ミリのプラナー付きで18万円。コンタックスのいちばんの魅力は、なんといってもツアイスレンズが使えることだった。僕はこのレンズを使ったことが無いのでコメントは出来ないが、当時このレンズに一家言持っていらっしゃる方が実に多かった。コントラストがいい、ヌケがいい、ハイライト、シャドー部の描写が・・・とか、僕にとってはどうでもいい話をずいぶん聞かされた(笑)
そんなコンタックスブランドもいまはない。RTSUが発表された翌年、ヤシカは京セラに吸収合併され、その京セラも2005年、カメラ事業部から撤退しコンタックスブランドは消えてしまった。辛うじてツアイスレンズだけはコシナが新しいパートナーとなり、現在でも手に入れることが出来る。
肝心のRTSUのことについて触れなかったが、検索するといろいろ出て来るようなので、そちらをご参照あれ。
posted by 生出 at 12:57 | Comment(2) | フィルムカメラ

2014年09月02日

コンタックスTVS


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かつて高級コンパクトカメラブームというのがあった。

90年代初頭にはじけたバブル経済。100万円の値札を200万円にしたら飛ぶように売れるようになった・・・そんなウソのような話が飛び交っていた時代、それがバブルだった。バブル経済崩壊後、バブル残照の中「夢よ、もう一度」と儚い希望(?)から生まれたのがコンタックスTVS。93年に発売された。価格は驚きの17万円也。いま時系列を振り返ると、なぜかそんな印象を持ってしまう。実際、TVSが産まれたのはバブルとは関係ないのだろうが・・・。

時期については多少のズレはあったが、他社の主だった高級銀塩コンパクトカメラの発売時期と値段は・・・92年コニカヘキサー(9万5000円)、93年ニコンTi35(12万5000円)、少し遅れて96年にミノルタTC-1(14万8000円)・・・であった。

さてコンタックスTVSを見てみよう。外装はなんとチタンである。外装をチタンで武装するのはニコンF2に始まるわけだが、以後高級カメラにはお約束のように使われるようになった。余談だがコンタックスの高級コンパクトカメラは84年のコンタックスTが最初。TシリーズはT2、T3、そしてTVSシリーズはTVS2、TVS3と続いた。いずれもチタン外装だ。


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レンズはバリオゾナー28-56mmF3.5-6.5を搭載。広角側の3.5はともかくとして56mmの6.5というのは、きょうびのデジカメのようにISO感度を自由に変えられるのであれば使えるが、ISO400のフィルムを使っても、ちょっと暗いシチュエーションでは三脚がほしくなる。手振れ補正もない。ストロボは内蔵されているが多くを望むべきではない。


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このスペックをどう感じるかはそれぞれであろう。カメラの構造的な制約の中から、実は創意工夫が生み出されることもあるのだが、デジカメの便利さに慣れてしまうと、高級コンパクトカメラを前にしても気持ちは萎えたままなのである。いいカメラなんだけどね〜。

フィルムカメラは、もはやノスタルジーを感じるだけの代物になってしまったのか・・・。
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2014年08月27日

キヤノンEF


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キヤノンEFは1973年に発表されたシャッタースピード優先のAEカメラであった。F-1を頂点に据え、ナンバー2にいたのがEFであった。当時としては先端を行く技術が投入されていたが、どういうわけか人気はあまりなかった。

露出計の受光素子はSPC(シリコンフォトセル)が使われていてF-1のCdsに比べれば、はるかに反応が早く正確であった。シャッタースピードは1/2〜1/1000秒・Bが機械制御式で1〜30秒は電子制御のハイブリッド式。シャッターはコパルの縦走り。

ライバルはニコマートEL(絞り優先AE)であったが、これはたまたま両機種がナンバー2に位置していただけであって、真のライバルではなかった。やはり作画をするためには絞り設定を優先に考える人が多く、シャッター速度優先式のEFは不利であったようだ。シャッター速度優先はどちらかというとスポーツなどの動体撮影に向いているが、EFにはワインダーやモータードライブも用意されておらず、ELWというワインダー仕様のあるELの優位性を脅かすことは出来なかった。中古市場を見てもEFに比べELが圧倒的に多いことを見ても人気の度合いがわかるというもの。

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とまぁ〜ダメダシが続いてしまったが、改めてEFというカメラを手にしてみると、実にまじめに作られている。ずっしりとした重量感のあるボディ、ペイント の塗りもF-1と比べても品質は同等。高級感のある仕上げだ。シャッターボタン、シャッター速度のダイヤルそして巻き上げレバーが同軸上にあり、もしかしたら、この部分のデザインはライカM5を意識したのかもしれない。EFはメカニカル的なことを含め、AE-1に始まる一連のキヤノンAEカメラの祖と言うべきであって、その存在意義はきわめて大きいのである。
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2014年07月22日

オリンパスOM-10


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オリンパスOM-10を見ると反射的に頭をよぎるのが大場久美子である。宣伝のために大場久美子がイメージキャラクターに選ばれただけであって、僕はとくべつファンと云うわけではない(笑)  人気絶頂(?)だった彼女を起用したことは販売のターゲットがどこにあったのか言わずもがなである。余談だが・・・カメラのCMにアイドルが登場し始めたのはこのころではなかっただろうか?ミノルタは宮崎美子を起用していたっけ。硬派の僕としては「必要ない!」と一刀両断であった。(笑)

さて、このカメラの最大の特徴は絞り優先オート専用機であったとうことだろう。マニュアル露出をするためにはオプションのマニュアルダイヤルアダプタを購入しなければならなかった。ここらへんが中途半端なところであり、別な言い方をすれば、OM-10というカメラの本質がここにあるのだろう。購入層の大半が中高生であったわけで、彼らが使うネガカラーなら多少の露出の過不足は焼きで十分カバーできるし、それに飽き足らなくなったらマニュアルアダプタを購入し、さらにその先へ行きたければOM-1かOM-2を買いましょう、と進むべき進路が用意されていた。まぁ〜どこのメーカーでも入門機、中級機、高級機を取り揃えて、メーカー思惑通りの「よりよき購入者」として生涯をささげてもらうための戦略を立てるわけだ。

話は変わるが、当時「写大」では定期的にメーカーがキャンパスの一角でブースを開き「愛機無料点検」と称し、坊ちゃん、譲ちゃん達のカメラを診ていたっけ。ニコンやキヤノンは押すな押すなの行列。一方オリンパス、ミノルタ、ペンタックスは順番待ちをしている人を僕は見たことがなかった。ここらへんの現実は、悲しいほどはっきりしていた。

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実はOM-10に触ったのは今回がお初であった。入門機という位置づけだから華奢な作りだろうとタカをくくっていたが・・・昨今のデジカメに比べてみると、思った以上にしっかり作られている。改めて見てみると、けっこう格好いいな〜と思ったのだった。
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2014年07月02日

ニコンF2


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70年代を代表するフラッグシップ機のひとつがニコンF2だ。対極にはキヤノンF−1がいた。報道のニコン、コマーシャルのキヤノンという構図もあった。

写真はAi化する前のF2フォトミックS。NikonのKの文字の下に、装着したレンズの絞り値をファインダー内の露出計へ伝えるための爪がある。レンズ装着時には絞り環を5.6に合わせるのがお約束のひとつ目。お約束のふたつ目はレンズ装着後、絞り環を開放側へガチャ、それから最小絞り側へガチャ。この儀式を経て開放F値が露出計へ伝わるのだった。

急いでいる時に、この儀式はさすがにイライラした。とはいえ、天下のニコンのやり方にユーザーは従うのが一般的で、当局にもの申すなどと云う大胆な行動は慎むべきという雰囲気があったように記憶している(ちょっとオーバーな言い方か)。

しかし天下のニコンとはいえユーザーの声に応えるため、77年遂にレンズの開放F値を自動でカメラボディに伝える方式を採用することになった。これがいわゆるAi(Automatic Maximum Aperture Indexing)化で、ニコン党にとっては正に天下分け目の関ヶ原であった。Ai化前のボディ、レンズを「非Ai」と称し、あからさまな差別化がはかられたのだ。他社ユーザーから見れば「それって普通になっただけじゃん」ということなのだが・・・。

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さて、FからはじまったF一桁シリーズは、上の写真のように各部が本体から取り外すことができ、撮影意図に合わせたオプションを取り付けることが出来た。ファインダーだけでもアイレベル、ウエストレベル、アクションファインダー、露出計内蔵ファインダー(フォトミック、同A、同S、同Sb、同As)があった。フォーカシングスクリーンは、どのくらいあったのだろう?他にモータードライブ、250コマ/750コマ、フィルムマガジン・・・などなど、まさに至れり尽くせりの(無駄な?)システムが構築されていたのだった。

恥ずかしながらそのむかし、手元のF2を上のようにバラして「ふふふ・・・」と毎夜のごとく、ほくそ笑んでいたのは何を隠そう、この僕なのであった。
posted by 生出 at 22:22 | Comment(0) | フィルムカメラ

2014年06月04日

キヤノンAE-1

 
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「連写一眼」のキャッチフレーズで一世を風靡したキヤノンAE-1、1976年の登場。高校一年も終わりに近い三月、東京はミヤマ商会から中古で購入(通販)したカメラである。僕が手にしたのは白ではなくて黒だった。黒の方が何となくカッコいいし、プロっぽいなと単純にそう思って黒をチョイスした。もちろん性能に白黒の差はない。

宮森さんの店頭で久々に手にして気がついたのだが、プラスティックボディの割には重たいなと思った。ずっしりとまではいかないまでも、きょうびのデジカメに比べればボディの密度の高さに気がつく。当時のボディデザインは直線が基調であって、カメラはカクカクしていた。丸みを帯びた今日的なものよりも硬派に見えるのは、且つてユーザーだった者の欲目だろうか。

基本的にはレンズの絞りを「A」に合わせて撮影する。ピントはマニュアルであるが、露出はシャッター速度優先が使えた。カメラを構えて左側エプロンにボタンがあって、それは逆光時に+1.5倍の露出補正が出来るものだった。秒間2コマのワインダーがオプションにあって後日それも中古で購入しスポーツを撮影してみたが、とても使い物にはならなかった。コマ間が空きすぎてしまうのだった。

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シャッターダイヤルは巻き上げレバーと同じ軸上にあり、ISO感度はシルバーのリングを引き上げて設定する。AE-1が発表された2年後の78年に「カメラロボット」A-1が登場するのであった。AE-1はのちにAE-1 Programへとバトンタッチする。
 
posted by 生出 at 12:58 | Comment(2) | フィルムカメラ