2016年10月17日

キヤノンF-1


 canonF-1-1.jpg

キヤノンが5年の歳月と数十台分の開発費をかけて世に送り込んだのが「F−1」である。1971年3月に発売された。プロ市場はすでにニコンF、F2に席巻されていた状況であったが、そこへ殴りこみをかけたのが「F−1」であった。

 canonF-1-2.jpg

ボディの耐久性は+60度〜−30度、湿度90パーセント、連続10万回に耐えるシャッターユニット・・・その頑丈さは「重戦車」と形容された。新しく開発されたFDレンズ群はカラーバランスに優れ、さらに無調整で取り付けられる各種アクセサリーも開発。あらゆる撮影に対処できるシステムが構築された。報道からコマーシャルまで、あっという間に幅広い世界で支持された。遥かうしろを走っていた選手が猛ダッシュで迫り来る足音に、ニコンは戦々恐々だったのではないだろうか?

1972年には、固定ペリクルミラーを使用した「F−1高速モータードライブカメラ(当時、世界最高速の秒間9コマ)」が発表された。同年ドイツ・ミュンヘンで開催されたオリンピックで好評を博し、1976年のモントリオールオリンピックでは、公式カメラに認定され、一気にニコンの牙城を脅かすことになる。次第にスポーツ中継ではキヤノンの白レンズの砲列が数多く見られるようになり、ニコンを席巻してしまった。

 canonF-1-3.jpg

ニコンF、F2、そしてF−1を使った僕の感想としては、ボディの作りこみはF−1に軍配が上がる。F2にはチタン製ボディがあったものの、F−1の分厚い鉄板(実際は真鍮)は少々の衝撃ではびくともしない。情けない話だが・・・撮影中、油断をしてコンクリートにF−1を落としたことがあった。ペンタ部分は大きく凹んでしまい、これは間違いなくプリズムにもダメージがあるだろうとファインダーを覗いたところ・・・まったく無傷だった。その状態で数年は使っていた。

 canonF-1-4.jpg

ファインダーの交換はスライド式で、左右の着脱ボタンを押して引くと、すっ〜と引き出せる。装着も実にスムーズ。FやF2のように親指の爪やコインで着脱ボタンを押す、あのストレスはない。ファインダースクリーンも当然交換式で、スクリーンの溝に爪を引っ掛けると、これまたストレス無く取り外せる。F、F2はボディをひっくり返して、着脱ボタンを押さなければならない。これは事実かどうかはわからないが、F−1発表の際、キヤノンの担当者が開けた裏蓋を持ちながら、カメラをぶんぶん振り回して「このくらい全然へっちゃらです」とボディの堅牢さをPRしたという。F2の柔らかい裏蓋で、そんなことは到底出来ない。また「10年間は、モデルチェンジをしない」という公約も信頼性を得るものであった。実際は1976年に小さな改良(13箇所)が加えられ、そのボディはF−1Nと表記されていた。ブログ紹介のF−1は初期モデルである。

 canonF-1-5.jpg

当時使っていたF−1は35年ほど前に手放してしまった。知人のF2Photomicと交換してしまったのだ。あのころ僕は使い慣れたF−1に多少の未練はあったものの、キヤノンでもニコンでもどちらでもよかった。双璧のひとつをなすニコンを使ってもいいかな、くらいの気持ちだったのだ。知人は海外青年協力隊としてエチオピアへ赴き、彼の地でF−1を使うも、帰国時にあちらの知人に譲ってしまった、と言っていた。いまもアフリカ大陸にあの「F−1」はあるだろうか?
posted by 生出 at 08:23 | Comment(0) | フィルムカメラ

2016年10月11日

フジペット


 fujipet1.jpg

1957年(昭和32年)に販売された富士写真フィルムの「フジペット」は、初心者(主に小学校高学年〜)向けの中判(6×6)カメラである。作りはいたって簡易。各部にプラスチックを多用し見た目よりも軽量だ。ボディのカラーバリエーションは黒、赤、緑、緑、黄、グレーがあったらしい。撮影に関して小難しい理屈はいらない。レンズは75ミリ固定で開放F値は11(選べる絞りは11、16、22・・・お天気マーク有)、ピント合わせの機能はない。視野は上部流線型のファインダーを覗く。シャッター速度は1/50とバルブのみ。上部のダイヤルを回してフィルムを巻き上げる。カメラ本体にフィルム巻上げカウンターが無いので、背面の赤窓でフィルムの裏紙に印字された数字で確認をする。

 fujipet2.jpg

レンズのレバーには「1」「2」と数字が刻印されている。「1」でシャッターをチャージ、「2」でシャッターが切れる。実にシンプルである。うっかり巻上げを忘れると、多重露光されたカットが量産される・・・わけである。

 fujipet3.jpg

フィルム交換は裏蓋をカパっと外すタイプ。フィルムメーカーが作ったカメラなので自社フィルムの使用を促すようなシールが貼ってある。

フジペットは小学生だけでなく多くの年齢層に支持され、爆発的な人気となった。ちなみに当時の販売価格は1950円。子供の小遣いで買えるものではなかったが、戦後10年以上が経ち復興を加速させる経済に明るい未来を感じはじめた国民が多かったのだろう。そんな高揚感にほだされて購買も加速したのかもしれない。
posted by 生出 at 08:29 | Comment(0) | フィルムカメラ

2016年09月30日

Universal Camera Corp. Mercury II


 marcury2-1.jpg

米国製カメラ「Univex Mercury II」は1945年に製造された。ひと目会ったその日から(パンチDEデート・・・古っ!)ではないが、そのデザインはユニーク且つ大胆で、強烈な個性を誇示している。否が応でも目に飛び込んでくるのが、上部の半円形の部分である。まるで羽根を広げたクジャクのようではないか。羽根には何やら数字がごちゃごちゃ・・・と。

 marcury2-2.jpg

この表は深度表であって・・・たとえば距離(目測)を10フィート、絞りを5.6に合わせた場合、表の上段Dの10'、同じくfの5.6から導き出されるのは・・・6'から30'までが被写界深度ということになるわけである。

1フィートは30.48センチなので、概ね1.8メートルから9メートルの間にピンが来る・・・のである。実はこのカメラ、レンズ交換が可能で、他に数本(75ミリ、125ミリ・・・)のレンズが用意されていたようだ。レンズを交換した際、この表は・・・役立たつのかな(笑)

 marcury2-3.jpg

ボディ背面には円盤状の表がある。これは露出表である。う〜ん、どうやって合わせるのだろう?見るのが面倒くさい(笑) というか、表を見ながら露出を算出している間に、シャッターチャンスを逃してしまう・・・気がするのだが・・・。

 marcury2-4.jpg

さて、このカメラは実はハーフ判なのである。裏蓋を開けてみると、ご覧のように18×24ミリのフォーマットであることがわかる。なのにボディの大きさは35ミリフルサイズと同等だ。カメラに搭載されているのはロータリーシャッターと呼ばれるもので、これは円盤状のシャッターを回転させるというユニークなアイディア。なるほど、だからクジャクの羽根が必要だったのだ。

ボディはアルミダイキャスト製で、手にした印象は一般コンシューマー向けではなく、米軍御用達?と思わせるほど作りがしっかりしている。太平洋戦争が終わった年に生まれたこのカメラ。国力の差は、こんなところにもあった訳だ。
posted by 生出 at 20:48 | Comment(0) | フィルムカメラ

2016年09月18日

栗林写真工業カロロン


 karoron-1.jpg

1949年発売のカロロンである。栗林写真工業(ペトリカメラ)が製作した6×4.5の中判スプリングカメラだ。携行時はコンパクトに折りたたむことが出来る。

 karoron-2.jpg

前蓋を開けレンズ部を引き出すと、所定の位置にカチャっと小気味良くセッティングされる。この種のカメラはスプリングカメラと呼ばれていて、一時期、フォクトレンダーやスーパーイコンタなど人気を博したカメラがあった。

 karoron-3.jpg

露出、ピント合わせのすべてが撮影者にゆだねられている。レンズ先端部を回してピント(目測)をあわせる。レンズはオリコン75ミリ、開放F値は3.5、シャッターユニット(B、1〜1/200)はカーペルというペトリ社ブランドである。

 karoron-4.jpg

なんともレトロチックなデザインと構造だが、つい数年前まで僕がメインで使っていたシノゴと細かい部分は違うものの、まぁ〜基本的には同じなので、僕としては違和感無く接することが出来る。ただし「カロロン」という機種名だけは、なんとかならなかったのかなぁ〜と感じている。何か深〜い意味があったのだろうか?
posted by 生出 at 22:56 | Comment(2) | フィルムカメラ

2016年09月13日

マミヤ16オートマチック


 16auto-1.jpg

和34年)に発売された所謂ポケットカメラである。フィルムは機種名にあるように「16ミリ」フィルムを使う。画面サイズは10×14ミリで、1972年に登場したコダック規格の110(ワンテン・・・13×17ミリ)フィルムよりも小さな画面サイズである。どちらも専用のカートリッジ式フィルムを使う。残念ながらマミヤ−コダックのカートリッジに互換性はない。

マミヤ16シリーズは1949年に誕生し、マミヤ16EEデラックス(1962年)まで7機種が製造された。「オートマチック16」は同シリーズとしては初めて外部式露出計(セレン光電池式)を内蔵した機種で、小さなボディにカメラとしての機能をギュッと詰め込んだ感じで、機械仕掛けのフォルムは見ているだけで惚れ惚れする。手にしたい!という願望が芽生えてしまうと人は都合のいい「屁理屈」を考えはじめる。

 16auto-2.jpg

毎日使うものではないが、何かの際に活躍するのではないか・・・ありもしないシーンの中で「持っていてよかった」と、このカメラを撫でる自分の姿を想像するのである。次第に脳内に「幸せホルモン」といわれるセロトニン(違ったかな?)が分泌され、いっときであるが至福に包まれる・・・これをひとは「妄想」と云うのである(笑) おもちゃ屋さんの窓越しに、指をくわえて欲しいおもちゃをじっと見つめる・・・子供と同じである。

残念ながら、このカメラは知り合いが所有するものなので、ブログ用撮影の僅かな時間だけしかお付き合いできなかった。

 16auto-3.jpg

携行時、ファインダーは折りたたむ。撮影時は起こすのだが、その様はさしずめ潜望鏡である。後ろから見た姿はニコンF2用のモードラMD2をコンパクトにしたようだ。ロックレバーはレンズカバーを兼ねている。閉じているときシャッターは切れない。FILTERレバーをスライドさせると内蔵されている「黄色」フィルターがセットされる。このあたりのギミックはたまらない。露出計はTTLではない。本体でセットしたシャッター速度と同じ値を露出計側の速度指標も合わせる。すると(精度はともかく)適正な絞り値がセットされ、これで撮影準備が完了。そうそう、ピントは目測なので撮影者の感覚で合わせる必要がある。自分の距離感覚が試されるので、これはこれで楽しい。

 16auto-4.jpg

セレンやCdsの露出計は、経年劣化が激しいので適正露出を決めうちするのは難しい・・・。でも順光、逆光など様々なシーンを経験すると露出計の癖は、ある程度つかめるので、まぁ〜がんばって撮影を続けることが必要だろう。その前に・・・すでにこのカメラ用のフィルムカートリッジが手に入らないという大きな問題が立ちはだかってはいるのであった・・・。
posted by 生出 at 22:39 | Comment(0) | フィルムカメラ

2016年09月05日

オリンパス35


 olympus35-1.jpg

戦後まもない昭和23年、オリンパス35T型が発売された。オリンパスのサイトによると・・・「小型、軽量」「速写性」という2つの目標を具現化したカメラです。「巻いて(フィルム巻き上げ)、掛けて(シャッターチャージ)、押す(シャッターボタンのレリーズ)」 という簡単な3つの操作で、すばやく撮れるオリンパス35I は、絶大な人気を博しました・・・とある。

 olympus35-2.jpg

オリンパス35はバリエーションがいくつかって、写真のカメラは、おそらく35Wa型(昭和28年)だと思われる。コンパクトなボディは、ポケットに収めるのには都合がいい。そしてなによりいいのは、ブラックに塗装されたボディである。塗装は持ち主が自ら行ったというから、世の中には器用な人がいるものである。一目見て「カッコいい〜!」と思った。

 olympus35-3.jpg

発売当時、ブラック塗装はなかっただろうから、オリジナリティはかなり高い。引き締まったボディは所有欲を大いに刺激する。白ボディと並べてみると格好良さは抜きん出ている。
posted by 生出 at 08:17 | Comment(0) | フィルムカメラ

2016年08月19日

ミノルタSR-1 SR-1s


 sr1-1.jpg

ミノルタが販売した35ミリ一眼レフカメラの第一号が「SR−2」であった。1956年のことである。「SR−1」は「2」の廉価版で翌1959年に販売された。

「SR−1」には、型名が同じでも、見た目や仕様の異なる機種がいくつか存在していた。ほかに「SR−3」「SR−7」などもあった。さらに「ニューSR−1」、そし て写真の「SR−1s」(1967年発売)と、なんか入り乱れてのラインナップだった。それぞれのスペックを見ていくと「SR-7」で外部調光式の露出計が内蔵されたくらいで、それほど大きな違いはない。

 sr1-2.jpg

今回、外部測光式の露出計を取り付けた2台にお目にかかった。こういう図も珍しいかなと思い記念撮影。プリズムは少々劣化があったものの、露出計はもちろんカメラ本体もメンテナンスが施され、驚くべきことに完動品なのである。なんとも美しいカメラではないか。

 sr1-3.jpg
posted by 生出 at 07:57 | Comment(2) | フィルムカメラ

2016年08月12日

キヤノンT90


 t90-1.jpg

いまでこそ違和感はないものの、T90が発表された1986年、見た瞬間に「なんじゃぁ〜こりゃあ〜」とGパン刑事のように思わず叫んでしまった僕である。カメラロボットA−1の発表から数えること8年、見たこともないボディデザイン、数々のオート機能てんこ盛りのスペックに、電流のごとく衝撃が体中に走ったのを覚えている。ちなみにT90のキャッチコピーは「超性能一眼」だった。

 t90-2.jpg

前年1985年にはミノルタα7000が登場し、35ミリ一眼レフはオートフォーカス時代に突入したわけだが、当時のキヤノンの答えが、このT90だったのだ。すでに多くのプロ、アマから支持を集めていたキヤノンではあったが、僕の予想とは裏腹にこの新人君は、すんなりと受け入れられた。

見た目のイメージを上回る性能の良さ・・・握りやすいグリップ、直感的なダイヤル操作による露出設定、単三4本で駆動する燃費の良さ等々・・・は好みはあろうが撮影する道具として、いまでも完成度の高いカメラであるといえると思う。フラッグシップ機「NewF−1」から買い換えるプロもいたと聞いた。ちなみに第三回「カメラグランプリ大賞」を受賞している。

 t90-3.jpg

工業デザイナー「ルイジ・コラーニ」による斬新なデザインは、その後のEOSシリーズに受け継がれ今日に至っている。中身に関してもEOSシリーズへの布石としてT90は重要な役割を果たしたのである。キヤノンがFDを捨て、EFという新路線を歩み始めたことに「裏切られた」と見るユーザーがいたことも事実ではあるが、T90の翌年にはEOSシリーズの第一弾として650が発表され、新たなる本流がここに生まれたのだ。いまやデジカメ界を牽引するEOSシリーズ、その方向性を導いたのが、Tシリーズのフラッグシップ機T90だった。
posted by 生出 at 22:24 | Comment(0) | フィルムカメラ

2016年08月08日

ミノルタSRT102


 srt102-1.jpg

国内ではあまりお目にかかれないミノルタSRT102である。1973年に発売されたカメラだ。SRT102は主に北米を中心に輸出されたモデルであった。欧州向けはSRT303という名称で、日本国内ではSRTスーパーとして販売された。スペックは(たぶん)どれも同じ。

 srt102-2.jpg

機能としては、これといった特長はないものの、メカニカルな部分では質実剛健で信頼ができる。この時代のカメラは機械式が多いので、手先の器用な方なら、ちょっとした不具合は直せてしまう。つまりはカメラという「道具」として、いつでも復活できる可能性を秘めているわけだ。末永く使える道具としての資質は、きょうびのデジカメは足元にも及ばない。

 srt102-3.jpg

手にするとずっしりと重い。使用感があることから、ちゃんと道具として扱われたに違いない。いったい以前はどんな方の手元にあったのだろう。そんなことを想像するのも、中古カメラの楽しみのひとつである。
posted by 生出 at 22:51 | Comment(0) | フィルムカメラ

2016年07月28日

AsahiflexUA 2.4


 asahiflex-1.jpg

ペンタックスのカメラの歴史は1952年の「アサヒフレックスT」型から始まった。二眼レフのようにウエストレベルファインダーを備える独特のスタイルは、実際の使い勝手は別として、いま見ても、なかなかイケてるなぁ〜と感じるわけである。ウエストレベルファインダーの右側に透過式のファインダーがある。実用性があったのかどうかはわからないがデザイン上のアクセントにはなっている。

 asahiflex-2.jpg

ウエストレベルファインダーを覗きこむとルーペが目に入る。ルーペを引き出せば、より正確なピンと合わせができる。フードを閉じると上部はすっきりとする。ペンタプリズムがのっていないので高さはSPよりも低い。

 asahiflex-3.jpg

「アサヒフレックス」は「T」型、「TA」型(53年)、「UB」型(54年)、そして写真の「UA」型(55年)の4機種があった。この「UA」にはタクマー58ミリ F2.4が付いているので「アサヒフレックスUA 2.4」型と呼ばれていた。どれも似たようなデザインなのだがスペックは異なる。「UB」型からはクイックリターンミラーの搭載、低速側のシャッター速度が1/2、1/5、1/10、1/25へ広がり、「UA」型ではTが加わった。

 asahiflex-4.jpg

マウントは独自のM37(内径37ミリ)のスクリューマウントで全機種共通。レフレックスの最大の強みは、レンジファインダー式カメラのようなパララックス(視差)が無かったので、一般の撮影より近接撮影、望遠レンズの撮影など、どちらかというと大学などで学術的な撮影に使われることが多かったようだ。レンズは83ミリ、100ミリ、135ミリ、500ミリが用意されていたというが、現物でもカタログでも見たことはない。

のちにペンタプリズム搭載のKやAP開発の礎となり、さらに名機SPへつながるこのカメラ、誕生以来61年という時間が経つのだけど、存在感はますます大きくなっていくような気がするのである。
posted by 生出 at 08:14 | Comment(0) | フィルムカメラ

2016年07月26日

キヤノンDAIAL35


 daial35-1.jpg

ユニークなスタイルのキヤノン「Daial35」である。こういうのを「スタイリッシュ」というのだろう。1963年(昭和38年)生まれではあるが、いまなお眼を惹くのだから、大したものである。

「ダイヤル」って何?という世代も、きっといるであろうが「黒電話」で検索し、画像をご覧になれば納得いくであろう。中央の撮影用レンズを囲むように配された虫眼鏡のようなレンズは露出計用の受光部となっている。ちなみに10個ある内の3つか4つはダミーなのだそうだ。受光素子はCds(硫化カドミウム) が使われていた。当時、電池を使わないセレンが一般的だったが、それよりも暗部に強く正確な測光が可能なCdsが採用された。

 daial35-2.jpg

裏蓋開閉ノブをスライドさせると、ぱっか〜んと開く。まるで弁当箱の蓋を開けたようである。話は変わるが・・・僕はご飯に海苔か豚ひき肉のそぼろが敷き詰められているとうれしかった・・・。カメラなのでご飯ではなくフィルムを入れよう。

フィルムは上部に挿入する。フィルムのリーダー部を巻き上げスプールに差し込む。このときのポイントはパーフォレーション(フィルムの上下についている穴)をフィルムガイドのギヤに確実に引っ掛けることである。グリップを回してフィルムのタワミを取り、裏蓋を閉める。グリップをさらに回すとフィルムカウ ンターがSから0になる。0になってからグリップが空回りするまで巻き上げておく。一回の巻上げで20カットほど撮影が可能となる。巻上げができなくなったら、もう一回ジ〜コ、ジ〜コと回す。

このカメラはハーフサイズなので36枚撮りフィルムで72枚も撮れてしまう。一粒で二度美味しい「グリコ」以上の美味しさである。なんとなく得した感じになるのだが、プリント代は72枚分が請求されるので、そこは「どっちがトクか、よ〜く考えてみよ〜(サクラカラーのCM、欽ちゃん風に)。そうそう、撮影が終わったらフィルムの巻き戻しもお忘れなく。不用意に蓋を開けると「はい、それま〜で〜よ」となる。植木等の、あの歌でどうぞ。あ〜なつかしの昭和・・・。
posted by 生出 at 08:22 | Comment(2) | フィルムカメラ

2016年07月06日

ニコン Photomic FTN


 nikon-ftn1.jpg

 nikon-ftn2.jpg

ニコンFにフォトミックファインダーを取り付けると「ニコンPhotomic FTN」になる。それにしても仰々しいシルエットである。後継機種の F2Photomicと比べると、実寸では大差ないのだが、デザインから受ける印象は大きく異なる。重戦車並みの迫力で、前から“こいつ”をぶら下げた人が来たら、やっぱりよけてしまうかも・・・そんな威光すら放っている。もっとも当時、Fを持つなんていうのは、夢のまた夢で、持っているだけで「あいつ、タダ モノではないな」と思わせる“力”があった・・・と聞いている。

 nikon-ftn3.jpg

フォトミックファインダーを取り外すと、実にすっきりする。肩の荷が下りたぁ〜とボディが云ったかどうかはともかく、露出計内蔵のファインダーが、いかに大きいかがわかる。ちなみにF用の露出計内蔵ファインダーは4種類あった。「Photomic」は外光式、「Photomic T」からはTTL方式で平 均測光。レンズの開放F値は手動設定。「Photomic TN」は中央部重点測光で開放F値は手動設定。そして「Photomic FTN」は最後の型 である。中央部重点測光で開放F値が半自動(俗に云うガチャガチャ)を採用した。NASAにも収められた実績がある。

 nikon-photomic-f.jpg

時を経た今、メーターが正常に動く固体も少なくなってきた。基本的なメカニズムが機械式なので未だにシャッター速度の調整など可能であるが、さすがに電気系統に不具合が発生すると修理は厳しい。もし露出計が駄目になったなら、中古市場で「Eye-lebel」ファインダーを探して差し替えれば、まだまだ現役として活躍することができる。もちろんメーター不動のPhotomicを付けたままでもいいのだけど・・・。

それにしてもFは大したカメラだなぁ〜と改めて思うのであった。
posted by 生出 at 22:30 | Comment(0) | フィルムカメラ

2016年06月08日

ペンタックスMX


 pentax-mx1.jpg

1950年代のカメラを紹介したあとに、このカメラを見ると、さすがに「洗練されているなぁ〜」という印象を持つ。時代は20年ほど下った1976年に登場したペンタックスMXである。オリンパスOM−1に端を発した小型一眼レフ競争にケリをつけたのがMXだった。いま見ても「小ささ」は特筆すべきものがある。ボディは高さ×幅×奥ともにOM−1よりも0.5ミリのサイズダウンを果たした。たった0.5ミリの差なのだけど、当時の開発者の苦労はいかばかりであったろうか。

スクリューマウント(M42)からバヨネット式マウント(Kマウント)へ変更されたのが1975年だった。変更というよりは新しく追加されたと解釈したほうがいいかもしれない。KマウントのカメラはK2、KM、KXが同時に発表されたものの、需要があったのか、在庫が余っていたのかは不明だがスクリューマウントの ESU、SPUなどはしばらく併売されていた。

 pentax-mx2.jpg

75年に登場したKシリーズカメラは、実に短命であった。K2はペンタックスのフラッグシップ機として、しばし同社のナンバー1に位置していたものの、ほとんど名誉職的な存在であった。翌年にはMシリーズへとバトンタッチされてしまうのである。MXとほぼ同時に発表されたMEはペンタックスの売れ筋として、ME、MEスーパー、ME・Fへと進化をしていった。真のフラッグシップ機は80年に登場するLXまで待たなければならなかった。

 pentax-mx3.jpg

さてMXであるが、機械式シャッターを搭載し、内臓露出計の感光素子はGDP(ガリウムヒ素フォトダイオード)、露出表示はLEDで、当時としてはまずまずの精度を与えられたカメラであったと思う。しかし時代はすでに自動化に突入していた。似たようなデザインで「絞り優先オート専用機」MEにアドバンテージがあったのは、その後のMEの進化を見ても判る。でもMXは発表から約8年ほど存在していたのだ。ペンタックスの国内販売向けとして最後の機械式シャッターカメラがMX(輸出用としてK1000というカメラがあり、こちらは86年〜97年の間、製造された)。自動露出カメラ一色のラインナップにせず、機械式を好む少数のユーザーを大切にするメーカーの「良心」「ココロクバリ」と感じるのは、少々贔屓目だろうか?
posted by 生出 at 07:56 | Comment(0) | フィルムカメラ

2016年05月23日

リコーRICOHFLEX MODELVB


 r-flex3b-1.jpg

せっかくなのでリコーの古いカメラをもう一台ご紹介。1951年発売の「RICOHFLEX VB」だ。前年に登場した「RICHOHFLEX V」の改良型で、低価格で手に入るカメラとして爆発的な人気を博した。リコーの二眼レフシリーズは1957年の「ミリオン」まで100万台を超える台数が販売されたという。カメラの大衆化に貢献した功績は大きかった。

 r-flex3b-2.jpg

このカメラの構造は、この上ないほどシンプル。外観も長方形という表現以外は見つからない。まぁ〜上から見れば正方形・・・なのだけど。シャッターはリケンシャッター(2枚羽根)でB ・1/25 ・1/50 ・1/100のみ。ファインダーフードも「V」の4枚から2枚に減り開閉がしやすくなった。ルーペもやや大型化された。ボディ各部はユニット化され、組み立てには6本のビスしか使われていないのだという。

 r-flex3b-3.jpg

基本的な撮影スタイルは、首から提げたカメラを上から覗き込む。ストラップは腰の高さあたりにファインダーがくるよう調整するのが一般的。ウエストレベルファインダーと言われる由縁である。頭を垂れてファインダーを覗く姿は、スナップ撮影などで傍若無人にレンズを向ける輩に比べれば、遥かに紳士的である。 きょうびの撮影スタイルとは異なるので、撮影していることに気づかない人もいることだろう。もちろんそれをいいことに、断りなしにシャッターを押すことは紳士道(写真道?)に反するのである。まずはあらゆる撮影対象をリスペクトすること。そうすればトラブルも少なくなるのでは。古いカメラから教えてもらうことは、けっして少なくはないのである。
posted by 生出 at 08:28 | Comment(0) | フィルムカメラ

2016年05月20日

リコーRICOLET


 ricolet1.jpg

こちらが「RICOLET」である。Richoh“35”DeLuxが出る三年前(1953年)に登場した。たった三年でカメラの構造は大きく進歩した。 しかしこのRICOLETもなかなかのもので、フィルム巻上げと同時にシャッターがチャージされる「セルフコッキング」を備えており、これは35ミリレンズシャッターとしては初めてであったという。

 ricolet2.jpg

ピント、シャッター速度、絞りはすべて手動で、レンズにそれぞれ調整のリングがある。レンズを包み込むようなデザインが特徴である。これは外部からの衝撃を守るためのガードなのか、デザイン的なアクセントなのか・・・判断に苦しむところだ。いずれにせよ、このカメラの独自性を印象付けるには効果十分である。なんとなくロボットをイメージさせるユニークなデザインだ。

 rocolet3.jpg

フィルム交換は裏蓋をごっそり取り外すタイプ。これはニコンFなどと同じである。

 ricolet4.jpg

シンプルな構造で、ちょっと手先の器用な人なら直せてしまうのが、この時代のカメラの良いところ。とはいうものの撮影の道具として使えるかというと、そこは疑問符が付くのは致し方ない。ジャンク品扱いで段ボール箱に入れられ、十把一絡げとして扱われるクラカメが多い中、インテリアとして机や棚の上に置かれる固体は、まだ恵まれているほうだ。ちびりちびりアルコールを飲みながら、そのフォルムを楽しむ・・・。カメラ達の余生に寄り添い、静かな時間を過ごすのもいいのかもしれない。
posted by 生出 at 08:22 | Comment(0) | フィルムカメラ

2016年05月18日

リコー35デラックス


 ricoh-delux1.jpg

1956年(昭和31年)発売の「Richoh“35”DeLux」である。ちょうど60年前に産まれたカメラ。一見して無表情なマスクが印象的。59年(昭和34年)から放映された「七色仮面」を彷彿させる・・・とは、このカメラを見た僕よりもちょっと年上のお兄さんが発した言葉である。

 nanairo kamen.jpg

なるほど確かに似ている(写真:出展Amazon) カメラにせよ、七色仮面にせよ、なんにせよ・・・同じ時代に産まれたモノは、似通った表情をまとうものだろう。そこに時代を感じるわけだ。

 ricoh-delux2.jpg

このカメラを撮る前に、1953年(昭和28年)発売の同じくリコーの「RICOLET」というカメラを撮影した。それに比べると「Richoh“35”DeLux」は大きく重たくなった。内部構造の設計を見直した結果、大柄なスタイルになったのだろう。

 ricoh-dexlux3.jpg

底部に設けられたトリガー(フィルム巻上げレバー)は速写性をユーザーに訴えていたようだったが、小さな手の日本人、とくに女性にとって逆に操作性をスポイルすることになったのでは?と僕は想像している。そもそもターゲットは国内よりも国外だったのかもしれない。底部トリガーは数社のカメラで見ることが出来た。しかし結果的にユーザーには受け入れられなかったのだろう。後に巻き上げレバーは上部位置に定着し・・・さらに時間が下ると消える運命になるとは、この時点では想像すら出来なかったのは無理もない。
posted by 生出 at 08:01 | Comment(0) | フィルムカメラ

2016年05月12日

コニカUA型


 konica2a-1.jpg

1948年(昭和23年)に発売された「コニカT型」から数えること3年、1951年(昭和26年)には早くも後継機種「コニカU型」が出現した。最大のトピックは「距離計」を内蔵したことであった。当時、国産レンズシャッター式カメラで距離計を内蔵していたのは「コニカU型」と「マミヤ35」だけだった。「コニカU型」にはいくつかバリエーションがあって、A、B、B-m、Fとローマ字をふって、差別化をしていた。具体的な差は・・・Aはヘキサノン 48o F2.0、Bはヘキサー50mm F2.8 またはヘキサー50mm F3.5などであった。実装されたレンズシャッターの種類の違いなど細部の差はもう少しあったかもしれないが、これ以上はわからない。

 konica2a-2.jpg

写真は「コニカUA型」である。販売は1956年(昭和31年)。シルエットは直線を基調としたデザインだが、エプロン部の曲線が目を惹く。人間工学に基づいた使用感の向上ではなく、見た目のエレガントさを訴えたかったのだろう。構造上の制約からくる、他社との似通ったデザインを打破するために、このようなデザインにしたのがいちばんの理由だったかもしれない。

 konica2A-3.jpg

左下のエプロン部には24×36との刻印がある。かつて24ミリ×32ミリサイズの「日本判」と呼ばれたフォーマットがあった。工業製品を海外に売って外貨を稼ぐ日本にとって、海外の、特に米国内の需要や仕様に合わせることが必要であった。すでに米国で普及していたスライドプロジェクター、プリンターマスクはともに 24×36(ライカ判)であったため、輸出の統制を行っていたGHQは「日本判」は不適合と判断し、輸出は許可されなかった。

そのため米国に適合したサイズであることを訴えるために、この刻印を付けたのであった。ちなみにニコンは24ミリ×34ミリというフォーマットを作ったのだが、これはGHQから「適合」と判断された。その差はなんであったのか?いまとなっては知る由もない。
posted by 生出 at 07:46 | Comment(0) | フィルムカメラ

2016年04月20日

ミノルタXD


 xd-1.jpg

ミノルタXDは絞り優先AE、シャッタースピード優先AE、マニュアル制御の3つのモードが搭載され、「デュアルオート」と銘打って鳴り物入りで登場したカメラであった。宣伝のキャンペーンガールには、女優で写真家のキャンディス・バーゲンが起用された。たしかXDを購入すると特製の赤いベストがもらえたように記憶している。登場は1977年である。

XD以前、「シャッタースピード優先機」はキヤノンかコニカを、「絞り優先AE機」はペンタックスかミノルタ、ニコンそしてコンタックスのいずれかを選択するほかなかった。一台のカメラが二つのAE機能を搭載するのはXDが世界初で、絞り優先とシャッタースピード優先のどちらがすぐれているかという論争に、とりあえずの決着をつけた。競走というのは、すごいなぁ〜と感じたのは・・・XDの翌年にはマルチモード一眼「キヤノンA-1」が登場。何かとライバル視された二つのカメラであった。XDが上か、A-1が上かという論争もいまとなっては懐かしい。予断だがニコンからフルモードAEと称したFAが登場したのは、二社からはかなり遅れて1983年のことであった。

 xd-2.jpg

じっくりXDを見てみると、道具としての資質はかなり高い。ペンタ部は低めでボディの小型化に貢献している。ネオブラックという上質のつや消し塗装処理が施され、ボディそのものの剛性も高い。しっかり作られたカメラだな、と思う。デザインは異なるものの、XDのボディはライカR4のベースになっている。ファインダーは明るくピントの山もつかみやすい。これは新たに開発されたアキュートマットスクリーンのおかげである。このスクリーンはハッセルブラッドにも供給された優れものである。XDそのものが(多少の不具合があったにせよ)優秀であったことは衆目の一致するところである。しかし評価はなぜか実力ほどではなかった。キヤノンA-1の悪口に聞こえてしまうかもしれないが・・・少々荒削り感のあるA-1に比べ、XDはすべての項目で80点以上。それが逆に個性を弱める結果になったのではないだろうか?

ある項目は飛び抜けて優れているのだけど、別の項目は及第点以下。でもそんな強い個性に人は惹きつけられるのである。XDに足りなかったのはアクの強い個性だったのかもしれない。

 xd-3.jpg

せっかくなので当時のライバル同士を並べてみた。個性の違いがよくわかる。
posted by 生出 at 22:49 | Comment(0) | フィルムカメラ

2016年04月13日

オリンパスOM-1(白)


 om1-1.jpg

実にきれいなOM−1(白ボディ)と出逢った。新品同様といってもいいほどの状態。それも初期型のOM−1である。出会った瞬間から目は釘付けになった (笑) プリズムの腐食もまったくなく高倍率のファインダーは覗くだけでも楽しくなってしまう。ひとつ残念なのは露出計が挙動不審であるということ。誕生以来、40数年が経過しているのだから、このくらいは目を瞑るしかない。ボディの状態から推測するに、前ユーザーは撮影よりもカメラを撫でるのが好きなコレクターだったのだろう。

 om1-2.jpg

あらためてOM−1を見てみると、ほんとうにカメラらしいデザインだなぁ〜と感心する。小型のボディは僕の手のひらにジャストフィット。機械式のシンプルな構造もいい。撮影道具として他に余計な機能はいらない。

OMシステムは「宇宙からバクテリア」まで撮影できることをコンセプトに開発された。カメラボディですらシステムを構成するひとつとして位置づけられていた。新しいカメラが開発されても、アクセサリーの互換性を保つスタイルは他社より一歩も二歩も秀でていた。

ただ・・・初期型のOM−1はモードラ装着の際、メーカーによるボディ調整(底板の交換)が必要だった。当時、連写はまだまだ一般的ではなくて「特殊」な撮影スタイルだと考えられていたのだろう。後年調整済みのボディOM−1MDが登場することとなる。MDは巻き戻しレバー(R)の脇に貼られたシールで通 常ボディと差別化されていた。いつの間にかすべてのボディにこの調整が施されMDシール付きのボディはなくなった。

 om1-3.jpg

現在僕の手元にあるOM−D E−M1は、すでに当時のオリンパスシステムとは関係のないカメラになってしまている。これはいたしかたのないことだけど、 せっかくボディのデザインをOMシリーズから引き継いだのだから、システムとしてのコンセプトも引き継いでもらえれば・・・と。
posted by 生出 at 07:53 | Comment(0) | フィルムカメラ

2016年03月31日

ペンタックスS2


 s2-1.jpg

ペンタックスメーター付きのS2である。S2はニコンFと同じ1959年に発売された。スペックとしてはシャッター速度1〜1/1000、B、Tで必要十分。セルフタイマーは搭載されていない。露出計が内蔵されていないのでオプションで用意されたのがペンタックスメーター。合体するとご覧のようになる。一体感のある姿はカッコいいではないか。キヤノンフレックスRPよりデザインは上である。このS2の姿を見て、僕はなぜかマジンガーZを思い出してしまった。見た目はぜんぜん似ていないけど・・・。

 s2-3.jpg

新たに開発されたジェットスクランダーと合体すると(マジンガーZの話です)、飛行が可能になり空飛ぶ敵にも対処できるようになった。合体して新しい機能が加わるところにしびれるのである。しかしシリーズ第二弾のグレートマジンガーになるとスクランブルダッシュという翼(なんと展開も収納も可能)が標準装備されている。いちいち合体しなくても空を飛べるようになったのだ。機動性は高まった。そして追加された新しい武器(マジンガーブレード(剣)、グレートブーメラン)により戦闘能力も大幅にアップされた。こうなるとZの立つ瀬がなくなってしまう。

 s2-2.jpg

マジンガーZを視ていたのは僕が小学五年くらいだったろうか・・・。中学に入るとたまにグレートマジンガーを視たような記憶はあるが、興味、関心はいつの間にかフェードアウトしてしまった(当然か・・・)。最終回がどうなったのか、調べればわかるるけど、そこまでしたいとも思わない(笑)

 s2-4.jpg

さて車でもパソコンでも、そしてデジカメでも新しい製品が登場すると、まず目の行くところはスペックである。これもまた当然至極のことだ。ただ1年も経つと、次はどうなる?どんなスペックになる?と世間は気にしはじめる。新製品のスペックは、まちがいなく上がるものだが、この先何処まで行くのやら。天井はあるのだろうか?ブログで紹介しているフィルムカメラ達を手にとると、思うことはただひとつ。やはり写真は撮影者の感覚、感性がものをいうのだな・・・と。しっかりしたテーマとモチーフがパイルダーオン!すれば恐いもの無し?
posted by 生出 at 08:09 | Comment(0) | フィルムカメラ