2021年07月26日

金山町「鮭立(さけだち)の磨崖仏


 _DSC2242b.jpg

金山町山入の「鮭立の磨崖仏」は天明の飢饉(1782年〜88年)の惨状を見た修験者が、五穀豊穣と疫病退散を祈って作り始めたという。いまは風化が進み、雨風から守るために屋根で覆われている。

 _DSC2235b.jpg

これまで数回、訪れているが、いずれも観光気分で撮影しただけだった。今度は・・・と云っている間に時間だけが経過してしまうので、ちゃんと撮影の段取りを決めないと・・・。
posted by 生出 at 18:50 | Comment(0) | その他

2021年07月25日

宗像窯


 DSC_2764b2.jpg

これは改装前の棟方窯の店舗。いまとはだいぶ雰囲気が異なる。

 DSC_2753b2.jpg

低めの棚に置かれた陶器を、手に取って趣を楽しんだものだった。炬燵で当主や奥さんと、あれこれ話をしたことが懐かしい。ちなみに撮影は2010年6月12日だった。あらためて写真は記録なのだと実感している。
posted by 生出 at 22:29 | Comment(0) | その他

2021年06月23日

はくちょう丸 かめ丸


 2021-06-15_16-48-28_850b.jpg

久しぶりに猪苗代湖の長浜を訪れてみた。はくちょう丸とかめ丸は、あいかわらず停泊したままである。昨年6月に磐梯観光船株式会社が廃業してから、早いもので一年以上の時間が流れた。

聞いた話だが、引き受け手が現れる可能性は低いものの運航をやめてもメンテナンスを続けているのだとか。このご時世では事業を引き継ぐのは難しいだろうが、猪苗代湖のシンボルとして長年に渡り親しまれてきた二隻が、このまま廃船されてしまうのは、実にもったいない。
posted by 生出 at 22:28 | Comment(2) | その他

2021年06月10日

熊出没中!


 _6060037b.jpg

連日のように熊の目撃情報がメールで流れてくる。会津美里町の林道を走行中、これでもか!というくらい看板が設置されていた。気をつけるしかないのだが・・・。
posted by 生出 at 08:38 | Comment(0) | その他

2021年04月07日

志村けんの言葉


 IMG_3882.jpg

昨年3月29日に志村けんさんが亡くなられてから、早一年が過ぎた。

2月中旬から大関株式会社が販売しているのが「ワンカップ大吟醸180ml瓶詰(志村けんの言葉ラベル)」だ。全6種類。数量限定で無くなり次第販売は終了とのこと。ふだん日本酒はまったく飲まないのだが、手元に置いておきたくて購入した。

同社の特設サイトはこちら。

コロナウィルスの猛威は落ち着くどころか、我々の日常生活の中に深く入り込んでしまった。目に見えぬ脅威に怯えるなんてことは、映画などのフィクションだけかと思い込んでいた。

翻弄される人間の姿を、人間ではない何かがほくそ笑んでいるのかもしれない。いずれにせよこの試練は我々の手で克服しなければならい。志村さんの「だいじょうぶだぁ」が妙に心に響くのである。
posted by 生出 at 08:51 | Comment(0) | その他

2021年03月28日

久々のアトリエ訪問


 _3270068bwb.jpg

画伯のアトリエにお邪魔するのは、2019年12月下旬以来のことである。そのことにまず驚いた。実に一年と三ヶ月が経過していた。
その間、世の中の動きは大きく変わった。混沌とした時代の中であっても、創作活動を続け、自らの審美眼を追求する画伯の姿に、かくあるべきと確信したのであった。
posted by 生出 at 22:34 | Comment(0) | その他

2021年03月11日

東日本大震災から10年


 _3110103b.jpg

今日は風が強かったものの、青空が広がり、海は春の光をキラキラと散りばめていた。東日本大震災から、ちょうど10年が経過した。私たちの目の届かぬ地球内部がどんな動きをしているのか、学者先生でも、なかなか把握するのは困難。まして素人は「お願いだからおとなしくしていて」と手を合わせるだけである。それはいつの時代でも同じなのだろう。

10年前の震災で、いちばんの誤算は原発の水蒸気爆発だったろう。すでに安全神話を信じる国民などはいない。国民を納得させる言葉よりも、実際に国民を守る術を国は持ち合わせていなかった。耳障りのいい言葉は信じるな!というのが、10年前に得た教訓である。

 _3110125b.jpg

堤防の上から海を見つめる人がいた。10分、20分・・・手を合わせるでもなく、ただただ遠くの一点を見つめ続けていた。もしかしたら、どなたかと話をしていたのかもしれない。その想いは遠くの海へ届いただろうか。

 _3110180b.jpg

石碑に刻まれた犠牲者の名前。多くの花束が捧げられていた。ただただご冥福を祈るのみである。

 _3110156b.jpg

震災の当日だけではなく、月命日には必ず県警の方々が行方不明の捜索を行なっている。捜索は今後も続くだろうが、一日も早く全員発見のために尽力していただきたい。

今日は「10年の区切り」というフレーズを幾度か耳にしたが、命を落とされた方、行方不明の方、家族の方にとっては、ただ単に10年という時間が流れただけなのである。


posted by 生出 at 21:30 | Comment(0) | その他

2021年02月18日


 _2180533b.jpg

これは数年前に撮影した写真。いまや誰もが、この写真を見て「あっ密だ」と感じるだろう。悲しいことである。
posted by 生出 at 18:06 | Comment(0) | その他

2021年02月04日

穴釣り解禁


 _0310164b.jpg

昨年、雪不足の影響で桧原湖の穴釣りが出来なかったことは、地球温暖化の影響を身近に感じた出来事だった。今冬は写真のように結氷した湖上にカラフルなテントが並んでいる。冬は冬らしくあればいいと思いつつも、今度は極端な降雪量である。自宅周辺は、もう何度除雪をしたことだろう。朝な夕なにスノーダンプを押す日々である。
posted by 生出 at 08:45 | Comment(0) | その他

2021年01月22日

昭和村「喰丸小学校」


 _IMG9803b.jpg

昭和村のシンボルと云ってもいい「喰丸小学校」。廃校になって、どのくらい経ったのだろう。校庭の銀杏は、樹齢100年を超えるのだと云う。

もし子供達が通っているのなら、この雪原は彼らにとってパラダイス!除雪した雪山からダイブする子供がきっといることだろう。僕もこの年になっても、そう思ったのだから、雪は童心を呼び覚ます力を持っているのかも。
posted by 生出 at 22:14 | Comment(0) | その他

2021年01月21日

悲運の作家「生出仁(おいでまさし)」


 img20210119_16140057b.jpg

『愛闘』は、江戸末期の嘉永6年、旧南部藩で起こった大百姓一揆「南部三閉伊(さんぺい)一揆」を素材にした小説である。1930年(昭和5年)、作者は今東光として出版された。当時は「奥州流血録」と云うタイトルであり、実は真の作者が「生出仁(おいでまさし)」であったことは、世に知られていなかった。時を経て、1988年12月6日にタイトルを『愛闘』とし、作者も「生出仁」として出版され、初めて世に知られるところとなった。彼の死後(1954年12月6日没)から実に34年、「奥州流血録」が出版されてから58年の歳月が流れていた。

生出仁は1904年(明治37年)に宮城県桃生郡飯野川町(以前の河北町皿貝、現在は石巻市皿貝)に生まれた。石巻市に父の経営する旅館兼下宿屋があったが、本業以外の事業に手を出し失敗、一家は岩手県千厩町に移る。盛岡高等農林学校を中退後、岩手県庁に務めるも数年後に退職。その後(1926年)、上京し文学活動に専念する。

上京した仁は詩の創作に旺盛な活動を展開し、詩誌の刊行にも携わる。1930年「岩手詩集」の発刊が企画され、その編集委員として宮沢賢治ら12名が選ばれたが、仁の名もその中にあった。

その3年前、1927年10月、岩手県胆沢在住の小学校教師で詩人の「織田秀雄」が雑誌「天邪鬼」を刊行。「天邪鬼」その二に、仁は『出水』と云う短編小説を寄せている。その内容は、小作農の娘が借金のカタに貞操を踏みにじられ、その結果、生まれた赤ん坊を雪解け水が轟々と流れる濁流に投げ捨てる、という悲劇を描いたものだった。当時の農民の苦しい実態を見事に描いた珠玉の短編であり、プロレタリア文学史にも列せられてもおかしくないほどの内容だったという。

仁が『愛闘』を執筆したのが1927年から30年にかけての期間だった。仁自身、この作品の出版を強く望んだが、世間的には無名に近い作家の作品を出版してくれる出版社はなかった。当時すでに気鋭の作家として知られていた「今東光」名で出版されたのは、主に出版社側の販売の都合によるもので、仁も了承してのことだ。

1930年の週刊朝日5月号に今東光の短編小説「出水・・・郷土的記録・・・」が掲載された。この作品は、前出の仁作の『出水』に僅かに加筆されたものだった。当時、著作権という概念が今ほどは確立されておらず、仁と今東光の関係のように、代筆(代作)はしばしば見られたことであった。

1933年、仁は突如として日刊自動車新聞社に入社し、文学活動と決別をする。そのあまりにも早い転身は、彼を知る者が驚きの声を上げられないほどだったという。その後も専門雑誌、業界紙に携わるも、1954年50歳の若さで鬼籍に旅立ったという。

 img20210119_16154049b.jpg
  
『愛闘』が出版された当時、亡父は直ぐにこの本を購入し、感慨深げに読んでいた姿を今思い出している。仁の出身が同じ河北町皿貝だったので、いてもたってもいられなかったのだろう、家系を調べ僕に見せてくれた。この写真を見て、伯父や従兄弟にも似ていると僕も思った。しかし当時、20代半ばだった僕には関心事が他にもあり、それどころではなかったのである(笑)

東日本大震災で実家が無くなってしまい、父が調べた資料を見ようにも、それは叶わない。後悔すること仕切りである。今回、たまたま古書で見つけた『愛闘』を早速仏前に供えたのであった。
posted by 生出 at 17:43 | Comment(0) | その他

2020年11月05日

昭和村・喰丸小学校


 _IMG9273b.jpg

昭和村の喰丸小学校のイチョウが見頃を迎えた。気持ちのいいくらいの青空に黄色が映えていた。僕の木造校舎経験は宇都宮の富士見小学校だけ。それも小学校5年の後半から卒業するまでの一年ちょっとだけ。

いま振り返ると、冷たい鉄筋コンクリートの校舎よりも、なぜかいろんな思い出がある木造校舎だった。
posted by 生出 at 21:52 | Comment(0) | その他

2020年10月26日

結婚披露宴


 _0251321b.jpg

先日、金沢市で姪の結婚披露宴が行われた。時節柄、参加は両家の親族だけのこじんまりとした披露宴だった。幸多からんことを祈るのみである。
posted by 生出 at 22:50 | Comment(0) | その他

2020年10月13日

マッチョマン見参!


 2019-11-16_21-34-45_321b.jpg

お気に入りの器で飲み喰いすることは、ほんとうに気持ちを豊にしてくれる。かなり前(調べたら2013年9月26日のブログに掲載)に珈琲舎雅で出会った岡井耕太郎氏作成のマッチョマンのコーヒーカップ。以来、欲しくてたまらなかったのだが、たまたま知り合いが益子に行くというので、無理をして買ってきて貰った。今回、コーヒーカップとビールジョッキの二つを購入。

なかなか良い。ジョッキに酒を注ぐと飲み口がいいものだからグイグイいってしまう。これで俺もマッチョマンになるかも・・・と酔っているうちは思うのだが、翌朝になるとぽっこりと膨らんだお腹を気にするのであった。
posted by 生出 at 21:55 | Comment(0) | その他

2020年10月05日

みんなのひろば


 img20201005_21282220b.jpg

10月3日(土)の福島民報新聞の「みんなのひろば」欄に福島市視覚障がい者福祉協会の市瀬幸男さんの投稿が掲載された。 天災や人災が続く昨今にあって、ともすると他人(ひと)の事など「かまっていられない」と豪語する御仁もいる。この宇宙が生まれてから今日までの長い時間、1秒たりとも時は途切れる事なくつながっている。そしてこれからも。

人は一人では決して生きていけない。誰かとつながっているからこその人生だと思う。未来へつながる時間は、人と人との繋がりで、明るくも暗くもなる。未来は明るいものだと信じたい。
posted by 生出 at 21:51 | Comment(0) | その他

2020年07月05日

画家のアトリエにて


 _6190393b.jpg

二週間ほど前に、画家「蛭田憲一」氏のアトリエでご夕飯を馳走になった。手巻き寿司、美味でした。ちょっと奮発してエビスビールを持参した。ビールを口にしたのは、ずいぶん久しぶりのことだった。

 _6190400b.jpg

宴会のあとは、いつものように蛭田画伯のプチライブである。セパレートタイプのステレオセットも、今や一部マニアでなければ揃える人もいないだろう。ブラックフェイスのマッキントッシュのプリそしてメインアンプ。中学生の頃、雑誌でしか見ることの出来なかったものである。それが今目の前にあるというのも凄いことだなぁ〜と画伯のギターを聴きながら思うのであった。
posted by 生出 at 18:52 | Comment(0) | その他

2020年06月17日

へたれガンダム


 _6160331b.jpg

へたれガンダムに注目が集まっている。地元福島だけではなく全国的に注目を浴びているというから驚きである。このブログでは2019年4月1日に紹介している。その後、平穏な日々を送っていたのだが、先月だったか、手にした銃が不届き物に盗まれるという事件が発生!

地元の新聞、テレビ、ネットのニュースでも取り上げられ、ちょっとした騒動になっている。過日訪れたところ、他県ナンバーの車が多数訪れていて、その関心の高さにこちらが驚いている。

手にしている新しい銃は、どなたかが好意で作成&寄贈した物らしい。

以下の記事は地元「福島民友新聞社」の記事からの引用である。

ビームライフルが何者かに盗まれた福島市平石にある鉄製のガンダム像・通称「へたれガンダム」が新たな武器を手に入れた。13日、作中でガンダムが使用する「ハイパーバズーカ」を模したとみられる新武器が像の下に置かれているのを地元住民が見つけた。  新武器は全長約1.3メートル。ペットボトル製で、ガムテープで固定してある。地元住民が像の下に置いてあるのを見つけ、風で飛ばされないよう、阿部克己平石区長(70)が像の右手にひもでくくりつけた。9日に見つかったモデルガンも像の両手に添えられている。  阿部区長は「へたれガンダムに親しんでくれている人が増えたということ。ありがたい」と感慨深げに語った。
posted by 生出 at 21:53 | Comment(0) | その他

2020年06月16日

磐梯観光船株式会社廃業


 P6160348b.jpg

福島県民にとってはショッキングな内容のニュースが飛び込んできた。昨日、猪苗代湖と檜原湖で定期観光船を運行していた磐梯観光船株式会社が、新型コロナウィルスの影響を受けて廃業するという。以下、同社のFacebookからの引用。無念な気持ちが伝わってくる。

【廃業のお知らせ】

4月より休業をしておりましたが、猪苗代湖、桧原湖とも営業再開を断念し、令和2年6月15日をもちまして廃業することとなりました。

最後にもう一度だけでも運航したかったのですが、実現する事が出来ず、本当に残念です。

東日本大震災の際には、皆さまのご支援に支えられて、何とか乗り切って参りましたが、今回の新型コロナウイルス感染拡大の影響は大きく、今後の見通しが不透明であることから、このような決定となりました。

最後にもう一度だけでも運航したかったのですが、実現する事が出来ず、本当に残念です。

突然の廃業によりご迷惑をおかけしますことを深くお詫び申し上げます。昭和34年の会社設立より、長きにわたり多くのお客様にご乗船いただきまして心より感謝いたします。

猪苗代湖、桧原湖を訪れた際には大型遊覧船が運航していた事を思い出していただけたら幸いです。

posted by 生出 at 21:46 | Comment(0) | その他

2020年06月01日

アサヒカメラ休刊!


 IMG_0749b.jpg

今日6月1日は「写真の日」。そんな日に飛び込んできた一大事!「アサヒカメラ」誌が今月19日発売の7月号で休刊する!94年の歴史に幕を下ろすことになった。

僕が手にした最初の写真雑誌がアサヒカメラ(1977年11月号)だった。高校一年の秋のこと。この号では須田一政が「会津」を撮り下ろしている(その後、自分が会津に住むことになるとは想像すらしていなかった。会津とはその頃から縁があったのかもしれない)。

ふり返ると消えていった写真雑誌がずいぶんあることに気が付く。カメラ毎日、Photo Japon、コマーシャルフォト、月刊カメラマン・・・。ネットの時代と言われて久しい。僕自身も情報はネットから得ることが多くなった。気がつけば紙媒体を手にする機会もめっきり減っていた。

 IMG_3965b.jpg

フィルムカメラからデジタルカメラへの移行は、小難しい写真の理論を抜きにして写真撮影を親しめる環境になった。写真人口は増えたものの、一見して見栄えのする写真がお気楽(とまで言ったら言い過ぎか)に撮れるようになったのも事実。

時代が変わった、と一言で片付けるにはあまりにも寂しい事件である。
posted by 生出 at 22:15 | Comment(2) | その他

2020年04月21日

恐竜の世界


 IMG_9060b.jpg

深夜のこと。ふとむかしむかし僕が小学校2年の頃、山梨県都留市立谷村第一小学校の図書館で見た本を思い出した。それがこの「恐竜の世界」(福音館書店)だった。

どうしてももういちど手にしたいとの思いが募り、ネットで探して購入した。

 IMG_9062b.jpg

実に半世紀ぶりの再会であった。表裏の表紙、そして本編はすべて鉛筆で描かれたと思われるイラストがあふれている。この質感はたまらない。

 IMG_9064b.jpg

当時の僕は、恐竜の絵を描くことに興味があり、その参考のために図書館で借りてきた記憶が微かにある。なので文字はほとんど読んでいなかった。小学生の低学年用ということだろうか、漢字には全てルビがふってある。

さて、いまや恐竜が滅んだ大きな理由が、巨大隕石の地球への衝突が定説だが、この本では、それに触れていない。ということは当時は、まだ知られていなかったことなのだろう。

本書では人間の時代がいつまで続くだろうか?という言葉で締めくくっている。様々な危機が人類を襲っている昨今だが、考えてみると、その原因を作ったのは人間だ。これから先、ずっとずっと時代が下り、人類が滅びたあと「人類はおろかな生き物だった」と、次に地球を支配する生き物に評されることのないよう、ただただ祈るのみだ。
posted by 生出 at 08:22 | Comment(0) | その他