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自然・風景写真記録人のブログ。
日々、感性をシ・ゲ・キするものなどを掲載します。
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2013年03月11日
3月11日
間もなく、あの日のあの時間になる。時は流れ続け休むことを知らない。しかし2年前の、あの瞬間から心が止まってしまった多くの人たちがいる。
posted by 生出 at 13:11 |
Comment(4)
|
その他
この記事へのコメント
お疲れ様です。
本日、宮森先生のところへ、お邪魔いたしました。
常連のSさんもいらっしゃいました。
なにげに、今日は震災の日で、原発に対するデモがあるそうだよ、とのたまう S氏。
正直、ここ数日、また、都会では復興を叫びメディアは煽る。
でも、地元では、何も変わっていない事にじれているというのが現実ではないのでしょうか?・・所詮、中央のお偉い方からは、一山百円の烏合の衆としか見られていないような気がしています(自虐的ですかね?)。
2年もたつのに、安全なはずの城は、瓦礫のままのモニュメントとなり果てていることに、お偉い方は、疑問を持たないのでしょうか?・まだ詭弁をふるって自分達だけ、安全地帯に逃げ込む気なのでしょうか?・感傷に溺れて詩的な表現に逃げ込むつもりはないですが、この状況には 苦笑いです。
あれ?、なんかいやな自分が出ますね。
Posted by momozo at 2013年03月12日 00:05
◇ふたたびこんばんはです。昼間、松川浦方面へ云ってきました。相馬漁港付近は、復旧工事が行なわれていましたが、随所に津波の傷跡を見ることが出来ます。あれから2年、まだ2年なのか、感じ方は人によって差はあるでしょう。大きな被害を受けた人たちにとって、あの瞬間から、時の流れが、震災以前の通常の流れとは大きく変わってしまったと考えています。つまり、歪んでいるということです。気持ちが震災前と後を行ったり来たり・・・まるであの世とこの世を行き来するかの如くです。時が正しく前に進んでいるのか、それとも止まっているのか、急に前に戻ったり、そのずっと先きへ進んだり、また今に戻ったり・・・。
荒れ果てた漁港に立ち、目を閉じると海鳥の鳴き声、穏やかなさざ波の音、そして頬をなでる風は優しさでいっぱいです。しかし再び目を開けると、現実の世界は、自然の猛威がふるった傷跡です。このギャップに心が翻弄されてしまいます。
現実を見ずに目を閉じている方が遥かに楽です。でも目を閉じたままでは前に進めない。ここが辛いところなんだろうと思います。時に人からパワーをいただきながらも、自分の目でしっかり見つめ、そして歩き始めなければならない。
政治とはなんなのか・・・目を閉じたままで、現実を見ようとしないのは、案外、彼等政治家達なのかもしれませんね。
Posted by 生出 at 2013年03月12日 22:01
お疲れ様です。
3月17日に、新地に行ってまいりました。
あれほどきれいだった、新地の港は跡形もなく、敷設された、堤防も、大きなコンクリートのモニュメントと化していました。
また、復旧の応援で尽力された方々が残された、添え書き入りの旗が、力いっぱいはためいておりました。
駅の倉庫の中では、なぜか、カメラのシャッターが下りず、背筋が寒くなりました。
瓦礫は大概綺麗になりましたが、それだけでした。何も進んではいないようでした。
Posted by momozo at 2013年03月20日 23:36
◇こんばんは。お疲れさまでした。いろんな思いを抱きつつ、かの地へ行かれたのでしょう。一言では決して語り尽くせない言葉がmomozoさんの胸中を駆け巡ったと思います。少し前に高校の同級生と話をしました。石巻(日和山の下)に住んでいた彼の家は跡形もなくなくなりました。家族の無事がせめてもの救いです。ご近所にお住まい方が多数お亡くなりになったと聞きました。かける言葉もありません。これから彼自身、踏ん張らなければならない状況は続くでしょう。しかし、それにも限度があります。悪戯に過ぎる時間に苛立ちを覚えるわけですが、この状況を打破するには、政治の力を借りなければならない・・・さらに苛立ってしまうのは何故なのだろうか・・・。所詮なんて言葉は使いたくもありませんが、ついつい口をついて出てしまいます。
Posted by 生出 at 2013年03月21日 22:28
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■生出道憲(Michinori Oide)♂
「自然・風景写真記録人」
1961年生まれ 宮城県仙台市出身
現在、福島県会津若松市在住
site:
http://m-graphy.com
・
春
・
夏
・
秋
・
冬
mail:m-graphy@cameo.plala.or.jp
■主な写真提供先/写真集
dip(マーズデザイン)
携帯待受け『いやしの楽園』(ザッパラス)
Mon mo(17,19,32,49号)(エス・シー・シー)
裏磐梯『風をとらえたもの』(第一印刷)
日本の滝1000(全3巻)(学研)
旅写真(ニューズ出版)
会津嶺(あいづね舎)
『四季光彩』(歴史春秋社)
その他もろもろ
■個展
2003年 喜多方市「珈琲舎うつわ」
2004年 裏磐梯「こらんしょ」
2005年 福島市「花の写真館」
2006年 仙台市「富士フォト」
2007年 須賀川市「福島空港ビル」
2008年 東京「富士フォト」
2009年 福島市「風花画廊(一木窯)」
他グループ展いろいろ
QRコード
本日、宮森先生のところへ、お邪魔いたしました。
常連のSさんもいらっしゃいました。
なにげに、今日は震災の日で、原発に対するデモがあるそうだよ、とのたまう S氏。
正直、ここ数日、また、都会では復興を叫びメディアは煽る。
でも、地元では、何も変わっていない事にじれているというのが現実ではないのでしょうか?・・所詮、中央のお偉い方からは、一山百円の烏合の衆としか見られていないような気がしています(自虐的ですかね?)。
2年もたつのに、安全なはずの城は、瓦礫のままのモニュメントとなり果てていることに、お偉い方は、疑問を持たないのでしょうか?・まだ詭弁をふるって自分達だけ、安全地帯に逃げ込む気なのでしょうか?・感傷に溺れて詩的な表現に逃げ込むつもりはないですが、この状況には 苦笑いです。
あれ?、なんかいやな自分が出ますね。
◇ふたたびこんばんはです。昼間、松川浦方面へ云ってきました。相馬漁港付近は、復旧工事が行なわれていましたが、随所に津波の傷跡を見ることが出来ます。あれから2年、まだ2年なのか、感じ方は人によって差はあるでしょう。大きな被害を受けた人たちにとって、あの瞬間から、時の流れが、震災以前の通常の流れとは大きく変わってしまったと考えています。つまり、歪んでいるということです。気持ちが震災前と後を行ったり来たり・・・まるであの世とこの世を行き来するかの如くです。時が正しく前に進んでいるのか、それとも止まっているのか、急に前に戻ったり、そのずっと先きへ進んだり、また今に戻ったり・・・。
荒れ果てた漁港に立ち、目を閉じると海鳥の鳴き声、穏やかなさざ波の音、そして頬をなでる風は優しさでいっぱいです。しかし再び目を開けると、現実の世界は、自然の猛威がふるった傷跡です。このギャップに心が翻弄されてしまいます。
現実を見ずに目を閉じている方が遥かに楽です。でも目を閉じたままでは前に進めない。ここが辛いところなんだろうと思います。時に人からパワーをいただきながらも、自分の目でしっかり見つめ、そして歩き始めなければならない。
政治とはなんなのか・・・目を閉じたままで、現実を見ようとしないのは、案外、彼等政治家達なのかもしれませんね。
3月17日に、新地に行ってまいりました。
あれほどきれいだった、新地の港は跡形もなく、敷設された、堤防も、大きなコンクリートのモニュメントと化していました。
また、復旧の応援で尽力された方々が残された、添え書き入りの旗が、力いっぱいはためいておりました。
駅の倉庫の中では、なぜか、カメラのシャッターが下りず、背筋が寒くなりました。
瓦礫は大概綺麗になりましたが、それだけでした。何も進んではいないようでした。
◇こんばんは。お疲れさまでした。いろんな思いを抱きつつ、かの地へ行かれたのでしょう。一言では決して語り尽くせない言葉がmomozoさんの胸中を駆け巡ったと思います。少し前に高校の同級生と話をしました。石巻(日和山の下)に住んでいた彼の家は跡形もなくなくなりました。家族の無事がせめてもの救いです。ご近所にお住まい方が多数お亡くなりになったと聞きました。かける言葉もありません。これから彼自身、踏ん張らなければならない状況は続くでしょう。しかし、それにも限度があります。悪戯に過ぎる時間に苛立ちを覚えるわけですが、この状況を打破するには、政治の力を借りなければならない・・・さらに苛立ってしまうのは何故なのだろうか・・・。所詮なんて言葉は使いたくもありませんが、ついつい口をついて出てしまいます。