2013年02月26日

1000年に一度の牙


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2月も今日を入れて三日。3月になると、あの日が近づく。1000年に一度と云われる大震災。それを経験してしまった多くの人の人生が否応無しに翻弄された。
昨日、南相馬市を訪れてみた。無性に海が見たかったのだ。震災以来、海を目にしたのは初めてだ。住宅地を通り海へ向かうのだが、あるところを境に急に視界が広がる。あたりは突如として殺風景な風景へと一変した。冷たい風が吹き付け、土ぼこりが舞い上がる。車から降りるのも躊躇するほどの強さだ。
意を決してカメラを抱え外へ飛び出す。一気に堤防を駆け上がると白波が立つ太平洋が目に飛び込んできた。風はことさら強くなり、立っているのがやっとの状態だった。
堤防の上には、津波の被害にあった瓦礫なのだろう、夥しい数のビニール袋が積まれていた。かつては人々の日常を支えていた大切なモノ。それが無造作に置かれている。その光景は筆舌にしがたいほどだ。人が創った文化、文明とはかくも脆いモノなのか・・・。
自然はたくさんの恵みを僕たちに与えてくれる。それが当たり前のことだと思った瞬間、自然が牙をむけた。長い地球の歴史の中で、これほど破壊力を持った津波は、そうあるものではない。しかし、僕たちは1000年に一度と云われる自然の牙を経験してしまった。
堤防の上に立ち、海と陸とを見ていたら涙があふれてきた。
posted by 生出 at 21:56 | Comment(3) | その他
この記事へのコメント
あの衝撃的な日からもう二年が過ぎる。
海は直視出来ないままだ。

千年に一度。
様々な記録が残されたであろうこの現実が実際に千年後に残るか?
活かされるか?

自然には勝てない、全ては受け入れるしか術がないとすら思ってしまう。
運命という言葉は抵抗があるがどう受け入れたらいいのか。
答えは己の心の中にあるのかもしれない。
Posted by 夜の申し子 at 2013年02月26日 22:31
自然を、軽んじてはいけない。
 古の人々は、その脅威を何かしらの方法で伝えてくれていた事を、私たちは数百年のスパンの中で、忘れてしまったことが、今回の悲惨な状況を作り出したのではないでしょうか?。
 とは言うものの、あの日の事は、忘れられません。
 多くの友人をなくしてしまいました。
 それは、彼らの笑顔、彼らの住まい、彼らがそこで暮らしていたと言う事実までも 根こそぎ時間ごとさらって行ってしまいました。
 海は、生き物すべての母と言います。
 友人達は、そこに抱かれて、戻っていったのだと思うようにしていますが・・、あの、真っ黒の泥饅頭と、濁った潮水の匂いは、忘れることができません・・・。
 この記憶は、きれいに結ぶことは出来ません。


 
Posted by momozo at 2013年02月27日 00:14


◇夜の申し子さん、はじめまして。コメントをありがとうございました。momozoさん、先日はありがとうございました。
人の人生を翻弄するものに戦争と自然災害があります。
戦争は人が起こすものですが、自然災害は地球が活きているからこそ起こります。戦争は人の知恵で避けられることもありますが、自然現象は・・・大気汚染、温暖化などは別として・・・人の叡智を結集しても押さえられません。
戦争も自然災害も、時が流れると風化するのが常です。これは悲しいですが事実です。先の大戦の経験者もいずれはいなくなります。そしてあの震災を経験した私たちも早晩同じ道を辿ります。失ったものがあまりにも多すぎて、なにか教訓を得るとか、考えることすら虚しさを覚えてしまいます。ひとつ思ったのは、自然への畏敬、畏怖の念を忘れず、日々つつましく生きていくほかはないのかな・・・と。
Posted by 生出 at 2013年02月27日 08:11
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