2013年01月23日

コーヒー豆

 
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タイ製のザルに入ったたくさんのコーヒー豆。珈琲舎雅に置いてあった。香ばしい香りに、ついつい顔もほころぶ。

ファインダーをのぞきながら僕の頭に浮かんだのは、写真家土田ヒロミの「砂を数える」だった。高度成長期、大量消費に奔走した人々は群をなし、街を埋め尽くした。一個人ではなく、群衆をひとつの個として捉えたこの写真は、あの時代の空気感、人々の価値観を象徴的に記録している。性別、年代、仕事、生活様式、習慣などなど、異なる背景をもつ人間が、集まることによって生まれる新しい性格。群集心理なんかもそのひとつなのかもしれない。

アルキメデスは、宇宙にあるすべての砂を数えようとしたとか、しないとか・・・。宇宙にある砂粒は、きっと有限であろう。しかしその数を数える術などは、きっとない、と僕は思う。例え砂を数える公式を考え数字をはじき出しても、それはあくまでも概ねであって、確実なものではない。まぁ〜仮に砂の数を正確に数えたとして、それがいったい何になるのか、という話もある。

無限を有限なものにしようとする行為は、まさに科学をするということなのであろう。そうやって我々人類は進歩してきた。無限という言葉からイメージするのは、人の手の届かない神の領域。さらに云えば冒してはならない神の領域だろうか。人の手によって解き明かされた事実を前に、人は神を凌駕したと錯覚する。これからも僕たちは自然の恵みと脅威を交互に感じつつも、いったい何処へ行こうとしているのか。

と、下手なことを考える前に美味しい珈琲を飲んだほうがよさそうだ。
posted by 生出 at 12:55 | Comment(2) | 馴染みの店
この記事へのコメント
コーヒー、僕の人生の転機には、いつもコーヒーがあったような気がします。
 埼玉から、福島へ戻るろうか迷っていた時、行きつけだった草加のバー、カントリーモアのマスター入れてくれたハワイのマカナッツフレーバーのコナコーヒー忘れられません。
 暫くして、福島で探してみましたが、あのテイストには、出会えませんでした。
 あのとき、一袋いただいて、残していた最後の一握り、ひさびさに出して香りを嗅いでみました。
 仕事や人間関係に絶望し、スキーとアメリカに心を奪われて、バーボンとタバコで貴重な時間を浪費していた昔の自分を思い出して、ちょっと恥ずかしくなってしまいました。・・・AAA(トリプルAですね!)
Posted by momozo at 2013年01月23日 23:40

◇momozoさん、おはようございます。人生の転機に珈琲がある。これからもきっとそうなのでしょうね。人であったり、モノであったり、音楽であったり、何であったり・・・人それぞれなのでしょうが、人生の転機に、まるで待っていたかのように目の前に現れる。運命的な結びつきがあるからなのでしょうね。
人生、悔やむ事は、それこそ山のようにあります。私の場合、すっかり山です(笑)。でも、悔いの山も遠くから見ると、案外感慨深いものです。何と云っても自分がこれまで過ごしてきた時間が積み重なっているのですからね。山は高い方がいい、と私は思っています。
Posted by 生出 at 2013年01月25日 08:18
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