2012年07月08日

夕暮れ時・・・パート2

 
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・・・店内に入り、まず目に入ったのが柱にかけられた時計だった。カチ、カチ、カチ・・・とゆっくりとしたリズムを規則正しく刻んでいる。かすかに流れるBGMは誰の曲だろう。妙に振り子のリズムと同調している。

カチ、カチ、カチ・・・まるで私の動揺した気持ちを落ち着かせるようなリズムの振り子。ふいに「ご注文は?」と訊かれ、慌ててテーブルに置かれたメニューを手に取る。革の表紙が貼られたお手製のメニューは年季が入っていて、ページはめくり上がり、珈琲のページは、とくに汚れがひどかった。

「え〜と・・・ブレンドを・・・」「はい、かしこまりました」と注文を聞くや、マスターは手際よく豆を挽き、珈琲を淹れ始める。お湯を注ぐと、これまで以上に珈琲の香りが店内を満たした。時計は相変わらずカチ、カチ、カチと、愚直なまでに時を進める。

間の持たない私は、何気なくテーブルに置いてあった本のページをめくる。

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適当に開いたページから飛び込んで来た詩に釘付けになる。

 だから 本気で 抱きしめたのさ
 きのうの風があしたに向かう時
 小さな雨が おもいで消してく

私は過去を振り返らない、そして未来を夢見ない、今という時間だけを見つめると決意した。でも、今この時間が辛い。今は瞬時に過去になるけれど、すぐに新しい今が私を襲う。今、今、今・・・連続する今はけっして私からは離れない。カチ、カチ、カチという音が、今、今、今と私に、まるで呪文のようにかぶさってくる。

つらい、つらい、つらい・・・つらい今を塗りつぶす術があるのなら教えてほしい。生きている以上、今という時間からは逃げられない事実に胸が締め付けられる。きっとそんなことはは判っていたのだが、私は敢えて自分の心をシートで覆い、そのシートの表面を見つめていたのだ。心を覆っていたシートが、もろくも剥がされていくのがわかる。まるで強風に煽られたように、あっけなく剥がされ、赤裸々な私の気持ちが目の前に現れた。

「おまたせしました」と、やや唐突に珈琲が出される。「えっ、あっ、ありがとうございます」と戸惑いの返事をしてカップを口に運ぶ。酸味のきいた珈琲が沁みる。

気がつくと、いつの間にかマスターは隣のテーブルの席に座り、ギターを弾き始める。
「ごめんなさい。実はライブが近いもので、ちょっと練習をしてもいいですか」

「え、え〜どうぞ」と私。

偶然なのか、それとも私が開いていたページをマスターが見たのかは定かではないけれど、マスターが唄い始めたのが、正にこのページの曲「この唄」(作詞・作曲下田逸朗)だった。

 時間だけ流れていくの
 こわいことさ
 だから この唄 あなたにあげるよ

マスター、あなたは私の心が見えるのですか?

三文小説家は、そろそろ引っ込んだ方がいいようで。続きは、たぶんないでしょう(笑)
posted by 生出 at 23:37 | Comment(3) | 馴染みの店
この記事へのコメント
…つらい今を塗りつぶす術があるのなら教えて欲しい…。「珈琲舎うつわ」を訪ねたら何かみつかるでしょうか?マスターのギターを聴きたい!と、ぐーーっと引き込まれた途端、終止符を打たれてしまいましたね、残念です。悲しい夜です。
Posted by 風 at 2012年07月10日 02:20
風さん、こんばんは。返事が遅くなってしまい失礼いたしました。
次々と襲ってくる辛い気持ちに、自分自身が押しつぶされそうになることは多々あります。でもその瞬間、きっと自分自身の気持ちを素直に見つめているのだと思います。だから涙が出てしまう・・・。

つらい気持ちにかぶせたシートは、はがれたり、かかったりを繰り返します。やがてはがれる回数も少なくなると、シートの上に芽が出て花が咲きます。花はシートの下の「つらい気持ち」を栄養にして育ちます。そしてこれまでにないくらい奇麗な花が心の中に咲くのです。その花が、また新しい出逢いを呼ぶことでしょう。

うつわに行かれることによって、何かしらの方向性をつかむことが出来るかもしれませんし、そうでないかもしれません。まずは行ってみるのがいいのかなぁ、と思います。

この続きは気が向いたらまた書いてみます。

Posted by 生出 at 2012年07月11日 22:26
辛くても悲しくてもあまり泣かないようにしていましたが、今夜は自分の身が溺れそうなほど涙が流れてしまいました。涙の分だけ痛みが和らいだ気がします、ありがとうございました。生出さんの写真を前からずーっとじーっと見せて頂いていて何度か救われましたが、今回は南風?少し吹いてみて本当に良かったです
Posted by 風 at 2012年07月12日 04:40
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