
田園風景が広がる磐梯町を走行中、偶然見つけた「考える人」らしき石像。農道の脇に捨てられているかのように置かれていた。気になって思わずシャッターを押す。
憂鬱そうな表情に何故か惹かれた。考える人というよりは、こんちくしょー!と苦りきった顔にしか見えない。ロダンの作品を真似るなら、もう少し何とかならなかったのだろうか。真似をしようとしたけど、スキル不足でこうなってしまったのか、或いはロダンの作品にインスパイアされてオリジナル作品を創ったのか・・・。創作の意図は、まったくもって不明である。
完成までには、きっとそれなりの時間がかかったはずだ。なのに、この仕打ちはちょっと寂しい・・・。
僕が想像するに、これは作者自身の姿なのではないだろうか。作者は案外、仕上がりに満足していたのだろう。しかし奥方の逆鱗に触れ、泣く泣く人目のつかない、この地に置いたのだ。奥方にすれば、旦那と同じ顔の像が庭の真ん中にでぇ〜んと置かれることに耐えられなかった。
「早く捨ててきなさいっ!」
鶴の一声である。
旦那はたまにここに来て、彼、つまり自分自身と会話を交わすのである。像の後ろに置かれたペットボトルは、そのとき酌み交わしたお茶かなにかなのだろう(かなり変色しているのが気になる)。「お前も俺も似たような境遇だな」なんて話をしたかどうかはわからないけど、僕には苦りきった表情の意味が、ほんの少しわかったような気がした。
覚えていたら、また来てみよう。
これは僕の終の棲家ですがなぜか後ろに見えるお茶はお供え、
お饅頭はカラスにやられました。
考える人に刺激され作っては見たものの顔はどうしてもジャパ〜ン。
因みにタイトルは「肘をつく人」、見たまんまです。
思い出したらまた探してみてください。
そうでしたか、ここがあなた様の終の棲家でしたか。お饅頭は残念でございました。なんと申していいのやら・・・。
確かにご尊顔はジャパン、そのものですね。内緒にしていましたが、実は高校のときの同級生のkawasakiくん、そっくりなのですよ。担任に注意されたときとか、弁当を忘れたときとか、いつもこの苦り切った顔をしていたのです。きっといまもこの表情を保持していることでしょう。彼の人生、苦り切ったことのなんと多いことか。
今度、新しいお茶を持参していきます。ご所望なら、お釈迦様のように頭からおかけいたしますが、如何致しましょうか?苦り切った表情も少しは和らぐかな、と思ったものですから・・・。