湖南町は読んで字の如く湖(猪苗代湖)の南側に位置する町である。とりあえず猪苗代湖の南側を目指せば間違いなく湖南町にたどり着けるのである。
湖南町には幾つかの老舗食堂があり、そのひとつが、ここ「えびな食堂」だ。訪れた回数は、これまで10回くらいだろうか?いやもっとかな?初訪問は25年ほど前か?
店内は座敷が中心だがテーブル席(四人掛け)が二つある。家族連れ、仕事仲間など、どちらかというと複数でのお客が多いようだ。
一番人気はメニューのトップにもある「ねぎラーメン」だ。ふつうでも盛りはいい。大盛りを頼むと後悔する人もいる。肉体労働者、アスリート、爆食いをいとわない人には歓迎される。何度か運ばれる器を見たが、丼というより、ちょっと大きめの「すり鉢」にたんまりとラーメンが収められていた。それを目にしただけで腹いっぱい・・・になってしまう。
さてそれではいつものようにカツ丼からいただくことにしよう。ちなみに盛りは、すべて並を頼んだ。
はい、カツ丼です。来ました。重量級のカツが丼の上部を、まるで塞ぐように鎮座している。どこから箸をつけるか・・・そう悩む必要はないが、少々小さめのカツを箸でよけ、ご飯が見えたらタクアンで、まずはいただく。汁の染みたご飯とタクアンは、また格別の味わいだ。三切れ分のご飯を食べてから、カツがようやく口に入る。美味しいものは、どちらかといえば後に残して食べるのが僕の流儀なのである。
味噌汁、冷奴は適宜、交互にいただく。
こちらはチャーシュー麺。たっぷりのネギがうれしい。写真は上から撮ったから立体感に欠けるが、ネギはなかなかに「山」に近い感じの盛りであった。
夏といえば冷やし中華である。やや乱雑に盛られた具材が、お店の混み具合を象徴しているか?
さて食後、建物に向かって左側の駐車スペースに、こんもりとした明らかに人手によって作られた盛土がある。いままで気が付かなかったのが不思議なくらい。これは一里塚で寛文7年(1667年)に幕府の命により会津藩が築いたものだという。会津の起点(大町)から七里の位置にある。
遡ること天正18年(1590年)、豊臣秀吉が会津に入ったときに開発されたのが白河街道(勢至堂峠)で、以後、佐渡の金、会津藩の廻米を運ぶ重要な街道だっという。
食欲を満たしたあと、歴史のお勉強は、ちとまぶたが重たくなりそうになったが、遠い昔に思いを馳せながら、街道を歩く人々の姿を想像するのもロマンだな・・・と思いながら帰路についたのであった。