2019年05月06日

会津の銀山


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かれこれ30年以上、会津に住んでいるのだが、まだまだ知らないところがある。いつものように足の向くまま気の向くままに車を走らせていた。柳津町の軽井沢地区は、これまで何度も走っているのだが、先日たまたま「銀山」という案内板が目に入った。「会津に銀山?聞いたことないな」と、ちょっとした好奇心を抱きながら進んでみる。

軽井沢から5分もかからず「銀山」に到着。目の前に突如として現れたのは煉瓦造りの煙突だ。明治19年(1886年)の建立で高さは約25メートル。風化が進んでいるのだろう、地面には朽ち果てたレンガの破片がいくつも落ちていた。あまり近づかないほうがいいみたい。

案内板によると「軽井沢銀山は永禄元年(1558年)に発見されれて以来、300年以上にわたって会津藩の財政の支えになってきた」とある。「最盛期の明治26年には年間産銀量、約4トンに達し、全国鉱山の第6位にランクされた」そうだ。

煙突の右側に辛うじて通れそうな道がある。進んでみると、なかなかにワイルドな道である。距離にすれば大したことはないが、最低地上高の低い車の通行はオススメしない。

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ここを登りきると視界が急に広がり、荒涼とした場所にでる。遠くには磐梯山を拝める。

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いかにも採掘場といった感じ。今のところこの場所への立ち入りは禁止されていないようだ。

「明治28年、金本位制の実施などで銀価が大暴落し、同年中に採鉱を中止、そして2年後には設備を解体して草倉鉱山と足尾銅山に送られて軽井沢は閉山された」という。

歴史好きな人には、きっとたまらない場所なのだろう。興味のある方は是非訪れてみてください。
posted by 生出 at 23:12 | Comment(2) | クルマ
この記事へのコメント
なんと関ヶ原の42年前。上杉藩が会津を治めていた頃?お金持ちの会津藩だった。
Posted by 五月雨一郎 at 2019年05月07日 01:33


◇この場所に立って、まず思ったのは当時の磐梯山はどんな形だったのか?
ときに自然は大きな力で、形を変えますが、人の欲望は時代が変わっても、それほど
違いはないようです。この場所も人の欲望が入り乱れたことでしょう。
Posted by 生出 at 2019年05月07日 12:58
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