2017年03月24日

ミノルタX−700


 x700-1.jpg

いまさらのことだけど・・・社名のミノルタは「実る田んぼ」にあやかり、同社のロッコールレンズは兵庫県の「六甲山」から命名されたのは、よく知られているところだ。すでにカメラメーカーとしてのミノルタは無くなり、現在はデジタルマーケティングソリューション、デジタルマニュファクチャリングサービス、医療向けソリューション、デジタル印刷サービス・・・などが主な事業で、社名は「コニカミノルタジャパン」となっている。

事業内容を見ると、一般コンシューマーには馴染みの薄い会社になってしまったんだなぁ〜との印象はぬぐえない。遠いところへ行ってしまったミノルタなのであった。

そんなミノルタが1981年から1999年までの18年間、作り続けたのが「X−700」だった。このカメラのいちばんの売りはMPS(Minolta Program System)というプログラムモードだった。基本的にX−700は、マニュアルカメラであるが、プログラムモードを搭載することにより、露出合わせの煩わしさから解放されたい向きにはうってつけだったと思われる。カタログによると「一眼レフを初めて使う方でもすぐれた映像を簡単に映し込めます」とある。操作は「シャッターダイヤルをPに合わせ、絞りを最小絞り値にセッティングします。あとはピントを合わせ、感じるままにシャッターをレリーズするだけ」と、簡単さが強調されている。

 x700-3.jpg

露出オート機能が付加されたカメラでは、シャッターダイヤルをAまたはPにセットすると回らなくなるのが一般的になった。絞りについても同様である。いつしかA、Pで固定されたシャッターダイヤルと絞りリングは、その役目を終え、いまやシャッタースピード、絞り値を視覚的に確認できるダイヤル、リングは廃止されてしまった(いま現在ニコンDfではシャッターダイヤルが、ライカM10ではシャッターダイヤルと絞りリングの両方が健在だ)。

さてX−700に話は戻るが、18年の長きにわたり製造が続いた大きな理由はどこにあったんだろう? ニコンF3、キヤノンNewF−1のような支持があったわけでもなく、これといった機能的な特徴もなく、ちまたでX−700使いのおっさんやお兄さん、お姉さんも見たことはない。確固たる根拠はないが・・・きっと海外ではシンプルな構造に対して、国内よりも支持が高かったのではないかと想像をしている。国内では85年に発表されたα7000が爆発的に売れていて、Xシリーズの明確な存在意義は見出せなかった。国外用を、おこぼれ的に国内で販売したのではないか、というのが僕の見方である。あくまでも想像の域は出ない話しだ。

 x700-2.jpg

ミノルタの現状については上述したとおりである。実った田ぼは、いずれ刈り取られる。ソニーに刈り取られた?αシリーズが、新たな苗となり新境地を開拓することが出来るか、カメラが売れなくなったと云われてひさしいいま、カメラ業界そのものが、誰かに刈り取られるのか、それとも放棄された休耕田のようになるのか・・・。

あまり暗いことは考えないようにしよう。
posted by 生出 at 12:38 | Comment(0) | フィルムカメラ
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]