2017年03月14日

スピードグラフィック ミニアチュール


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スピードグラフィック(通称スピグラ)はアメリカのグラフレックス社が開発したカメラで、1912年の登場以来、約60年間、世界各国の報道カメラマン御用達の名機で第一線で活躍した。報道カメラマンといえばスピグラという一時代があったのだ。フォーマットはシノゴ、ブローニーなど大中判のフィルムを使用。日本には第二次世界大戦後に普及した。普及したといっても一般コンシューマーにではなく、あくまでも報道各社の写真部に、との但し書きがつく。

普及のきっかけは進駐軍からの横流しや、本国へ帰る米兵から譲り受けたりしたのがはじまりだという。50年代になって、ようやく正規輸入されることになったが、対象は報道関係者だけに限られていた。なのでスピグラを使っていれば、それはイコール新聞社のカメラマンということで、身分証になるほどだった。

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使いこなすには熟練の技が必要とされた。構造上、連写は出来ないから、まさに一写入魂!一枚の写真に込める気迫は鬼気迫るものがあったと想像する。暗い場所での撮影は一枚撮るたびに電球を交換するフラッシュバルブが使用されていた。

一般的なシノゴカメラと異なるのが、レンズシャッターのほかに、ボディにフォーカルプレーンシャッターが搭載されているところだ。1/1000のシャッターまで切れるようになり、動きの早いスポーツ撮影には重宝した。写真の型は、6×9のカットフィルムしか使えないタイプなので、バック部の取り外しが出来ず、フォーカルプレーンシャッターをお見せできず残念。中にはロールフィルムホルダーを取り付けられるように改造する器用な人もいたという。

フォーカルプレーンシャッターの巻上げ、レリーズはボディ側面のレバーで行うようだが、どう操作するのかは、よくわからない。

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日本でのスピグラの全盛時代は意外に短く東京オリンピックまでだった。やはりニコンFの登場が大きかった。毎日新聞社がニコンに切り替えたのを機に、各社は堰を切ったようにニコンを中心とした小型カメラへの鞍替えを行った。その後、空撮などの限られた用途以外、使われることも少なくなり、報道各社から消えたのが1970年頃だった。

栄枯盛衰はどの世界にもあることで致し方のないことだが、1976年に日本のカメラメーカー「酒井特殊カメラ製作所」は最終モデル「スーパーグラフィック」の知的財産権を譲り受け「トヨ・スーパーグラフィック」として1987年まで製造を続けた。その後、トヨビュー、トヨフィールドなどのシノゴカメラにスピグラの魂は引き継がれた(と、僕は思っている)。同社には現行品として、いまもなおシノゴカメラおよびオプションのラインナップが充実していて、シノゴ使いにとっては数少ない駆け込み寺的存在なのである。
posted by 生出 at 12:44 | Comment(0) | フィルムカメラ
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