2016年05月12日

コニカUA型


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1948年(昭和23年)に発売された「コニカT型」から数えること3年、1951年(昭和26年)には早くも後継機種「コニカU型」が出現した。最大のトピックは「距離計」を内蔵したことであった。当時、国産レンズシャッター式カメラで距離計を内蔵していたのは「コニカU型」と「マミヤ35」だけだった。「コニカU型」にはいくつかバリエーションがあって、A、B、B-m、Fとローマ字をふって、差別化をしていた。具体的な差は・・・Aはヘキサノン 48o F2.0、Bはヘキサー50mm F2.8 またはヘキサー50mm F3.5などであった。実装されたレンズシャッターの種類の違いなど細部の差はもう少しあったかもしれないが、これ以上はわからない。

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写真は「コニカUA型」である。販売は1956年(昭和31年)。シルエットは直線を基調としたデザインだが、エプロン部の曲線が目を惹く。人間工学に基づいた使用感の向上ではなく、見た目のエレガントさを訴えたかったのだろう。構造上の制約からくる、他社との似通ったデザインを打破するために、このようなデザインにしたのがいちばんの理由だったかもしれない。

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左下のエプロン部には24×36との刻印がある。かつて24ミリ×32ミリサイズの「日本判」と呼ばれたフォーマットがあった。工業製品を海外に売って外貨を稼ぐ日本にとって、海外の、特に米国内の需要や仕様に合わせることが必要であった。すでに米国で普及していたスライドプロジェクター、プリンターマスクはともに 24×36(ライカ判)であったため、輸出の統制を行っていたGHQは「日本判」は不適合と判断し、輸出は許可されなかった。

そのため米国に適合したサイズであることを訴えるために、この刻印を付けたのであった。ちなみにニコンは24ミリ×34ミリというフォーマットを作ったのだが、これはGHQから「適合」と判断された。その差はなんであったのか?いまとなっては知る由もない。
posted by 生出 at 07:46 | Comment(0) | フィルムカメラ
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