2016年03月08日

キヤノンフレックスRP


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1954年(昭和29年)のフォトキナで1台の衝撃的なカメラが発表された。云わずと知れたライカM3である。その完成度の高さに日本のメーカーは完全に万歳。一眼レフカメラ開発にシフトする大きなきっかけとなった事件であった。1955年以降、日本の各メーカーから一眼レフの開発と発表が続いたわけだが、1959年(昭和34年)、ニコンFが発表されると報道関係者を中心に大きな支持を集め、それは日本を名実ともに一眼レフ大国へ押し上げる結果となる、大きな歴史的事件だった。

ライカM3、ニコンFの両機は、基本的な設計、完成度、耐久性・・・などに優れ、以降、後継機種開発に、ひとつの「思想」として連綿と引き継がれていくことになったのだ。ユーザーは「信者」と呼ばれることに何の違和感も抵抗もなく、むしろ「誇り」を持ち、ライカ教、ニコン教の布教のために尽力することとなる。

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さてキヤノンフレックスRPであるが、ニコンFから遅れること一年、1960年(昭和35年)に発表された。前年(昭和34年)にキヤノン一眼レフの第一号機「キヤノン フレックス」が発売されたが、わずか三ヶ月ほどでこの世から消えた。巻上げレバーがボディ底面にあり、三脚での撮影が不利であったのが、その理由のようだ。PRと同年には1/2000秒のシャッターを搭載した「キヤノンフレックスR2000」も発売された。ニコンF同様ファインダー交換も出来たし、スペックとしてはFの1/1000秒を上回る最高速度だったのだけど、Fを凌駕するどころか、足元にも及ばなかったようだ。アマチュアが支持していたペンタックスにも負けていた。ちなみに巻上げレバーは、相変わらず底面に位置されていた。

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キヤノンフレックスRPはR2000の簡易版としての位置づけで、固定式のファインダー、最高速度1/1000秒とスペックは抑えられていた。この時代、露出計はまだ外付けで、オプションとしてご覧のように大きく出っ張った「外部式露出計」を取り付けていた。同じ外付けでもM3用のライカメーターに比べると、デザイン的なスマートさは感じられない。デザインは度外視して、無理矢理一部屋を増築した感は拭えない。

TTLではないが、ボディに露出計が内蔵されたのは、62年(昭和37年)発売のキヤノンRM(拙ブログ2015年8月18日参照)であった。

ニコンとほぼ同じ時期にスタートしたキヤノンの一眼レフが、プロに認められるのは71年(昭和46年)のF−1からなので、まだまだ先のことであった。
posted by 生出 at 07:47 | Comment(0) | フィルムカメラ
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