おおはた雄一の曲を聴き始めたキッカケはある出逢いからであった。
彼の名前を始めて耳にしたときのことはよく覚えている。あれは・・・2004年頃だったと思う。おおはたゆういちさん(おおはた雄一と同姓同名、福島でフリーのデザイナー)の自宅のことであった。
「今度、おおはた雄一というシンガーソングライターが福島で唄うんだって。僕もバンドをやっているし名前が同じだから知り合いから間違えられちゃったよ」。バーボンの注がれたロックグラスをちびりちびり舐めながら「てへへへ・・・」と子供っぽい笑みを浮かべる彼に、僕は「ふ〜ん」と返事にならない返事をした。
その時点で「おおはた雄一」が僕の感覚にひっかかることはなかった。
その翌年(2005年)、たまたま本屋で見た「AGM(アコースティックギターマガジン)」に触発され、マーチンD−28を購入。インストの曲を弾き始めた。以来「AGM」誌は僕のバイブル的な存在となる。同誌をパラパラめくっていて再び出逢ったのが「おおはた雄一」だった。
アルバム「ラグタイム」を手にしたのは2008年。おおはたゆういちさんから名前を聞いて4年後のことである。そしてその年、おおはたゆういちさんは急逝してしまう。たしか40歳になったばかりだった。あまりにも急なことで、どう理解したらいいのか・・・大きく戸惑った。身体の中であらゆる細胞がざわついていた。
昨日と今日は違う。日々そんなことをぼんやりと感じつつも、実際大きな別れを経験するとその悲しさに押しつぶされそうになってしまう。もう昨日には戻れない・・・。
「おだやかな暮らし」
ほしいものは おだやかな暮らし
朝にそそぐ やわらかな日差し
好きな人の てのひらがすぐそこにある
そんな毎日・・・
日常のありふれた時間を情緒的に唄うスタイルは、とりとめのないように感じるかもしれないが、人生において起伏の大きいタイミングに聴くと泣けるかもしれない。
彼の名前を始めて耳にしたときのことはよく覚えている。あれは・・・2004年頃だったと思う。おおはたゆういちさん(おおはた雄一と同姓同名、福島でフリーのデザイナー)の自宅のことであった。
「今度、おおはた雄一というシンガーソングライターが福島で唄うんだって。僕もバンドをやっているし名前が同じだから知り合いから間違えられちゃったよ」。バーボンの注がれたロックグラスをちびりちびり舐めながら「てへへへ・・・」と子供っぽい笑みを浮かべる彼に、僕は「ふ〜ん」と返事にならない返事をした。
その時点で「おおはた雄一」が僕の感覚にひっかかることはなかった。
その翌年(2005年)、たまたま本屋で見た「AGM(アコースティックギターマガジン)」に触発され、マーチンD−28を購入。インストの曲を弾き始めた。以来「AGM」誌は僕のバイブル的な存在となる。同誌をパラパラめくっていて再び出逢ったのが「おおはた雄一」だった。
アルバム「ラグタイム」を手にしたのは2008年。おおはたゆういちさんから名前を聞いて4年後のことである。そしてその年、おおはたゆういちさんは急逝してしまう。たしか40歳になったばかりだった。あまりにも急なことで、どう理解したらいいのか・・・大きく戸惑った。身体の中であらゆる細胞がざわついていた。
昨日と今日は違う。日々そんなことをぼんやりと感じつつも、実際大きな別れを経験するとその悲しさに押しつぶされそうになってしまう。もう昨日には戻れない・・・。
「おだやかな暮らし」
ほしいものは おだやかな暮らし
朝にそそぐ やわらかな日差し
好きな人の てのひらがすぐそこにある
そんな毎日・・・
日常のありふれた時間を情緒的に唄うスタイルは、とりとめのないように感じるかもしれないが、人生において起伏の大きいタイミングに聴くと泣けるかもしれない。