2015年06月05日

Reflections


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東京都世田谷区松原三丁目・・・高校を出て、ひとり上京した際の僕の住所である。昨日までは親の庇護の下にぬくぬくとした日常であったが、日付が変わって 今日からはいきなりの一人暮らし。自ら希望して上京したものの、将来への期待やら不安やら寂しさやら・・・いろんな感情がブレンドされた日々であった。いま当時の自分をふりかえると「滑稽」という言葉を当てはめるのが相応しい。

最寄の駅は京王線の下高井戸。特急、急行はもちろん、通勤快速も停まらない普通の駅だった。下宿は駅から徒歩10分少々の閑静な住宅街にあった。勝手口から入り大家さんが使う台所、茶の間を経由して階段をトントントンと上ったところが僕の部屋である。

風呂は一日おき、エアコン無し、洗濯はコインランドリー、トイレは大家さんと共用。朝食と夕食は付いていたものの、朝食はほとんど食べなかった。下宿の大家さんは当時で70歳越えのお爺さんで、その方が一人で管理・運営していたのであった。大家さんが作る食事で頻繁に出たのが野菜炒め、マルシンのハンバー グ、あと理由はわからないが何故か水炊きが記憶に残っている。ご飯だけはお代わりが自由であったが、すすんでお代わりはしなかった。

この大家さん、元東京新聞の記者だったそうで、よく聞かされたのは2.26事件の話。「青年将校が、『お前ら動くな!」と我々を威嚇し て・・・」というくだりは両手、両足の指では足りないくらい聞いた。しかし覚えているのは、この部分のみ。大家さんは耳が遠く補聴器を使っていた。ボリュームの調整がうまくいかないことがたまにあって「ぴ〜!」というハウリング音が鳴り響く。ぴ〜音が茶の間のテレビの音声とかぶっていて、大家さんは聞き取れるのだろうか?と疑問に思ったものだった。

夕食は一階の茶の間で午後6時から。早いときは5時半なんてこともあった。連絡無しで遅れると怒られた。7時過ぎになると大家さんは就寝。明け方3時前には起床という生活パターンが学生と合うはずがない。

当時の通信手段は茶の間にある黒電話のみ。ダイヤルにはなぜか南京錠がかかっていた。大家さん曰く「むかし住んでいた○○大の学生が無断で使ったから」。下高井戸駅の手前に公衆電話が一台設置されていたが、夜になるとけっこう人が並んでいたのを幾度となく目撃した。

目撃といえば、下高井戸駅からは世田谷線も出ていて、その沿線ではよくテレビドラマのロケが行われていた。どこのテレビ局のなんというドラマなのかは、テレビがなかったのでわからなかった。ちなみに東京でいちばん最初に見た芸能人は「あごいさむ」。新宿駅西口「新宿の目」の前を闊歩していたのを目撃した。プチ感動であった。

部屋に置いてあったのは布団と若干の着替え、ラジカセ(ナショナルのマックff)、モーリスのギター(W30)、そして命の次に大切だった(笑)キヤノン AE−1とF−1、FD24ミリ、50ミリ、135ミリ、300ミリ、ラッキーの引き伸ばし機などの暗室セット・・・これが所有物のすべてだった。

梅雨時になると、夜な夜なごそごそと音がする。何事かと目を凝らしてみるとゴキブリの行進だ。それもけっこう大きい。台所の脇の風呂場は「巣」であった。飛び交うゴキブリをよけながらの入浴はアクロバットに近いものがあり、本来一日の疲れを癒すはずの空間が、ストレスの溜まるとんでもない場所となっていた。このゴキブリ、夕食時にも無遠慮に出没するので質が悪い。大家さんが素手で叩き潰していたのを見たときはさすがに閉口した。壁どん!ならぬ畳どん!である。

ほぼ同時にこの下宿に入ったのは他に二名。ひとりは東大生、もうひとりは語学の専門学校生。東大生とはその後、音信不通になったが、専門学校生とは 今でもたまに連絡を取り合っている。そんな彼から聴かせてもらったのが寺尾聰の「Reflections」だった。1981年のことだ。なのでこのアルバ ムを聴くと東京の下宿生活が上記のごとく鮮やかによみがえるのである。音楽と思い出は強く結びつくのを、この歳になってことさら強く実感している。

それにしても前ふりが長すぎた(笑)
posted by 生出 at 12:53 | Comment(6) | 音楽
この記事へのコメント
会社勤めが始まり同期入社と夜な夜なスナックに繰り出してはカラオケでルビーの指輪を口ずさんでいました。もっとも地方都市の駅前で都会の繁華街とは段違いですがなぜかスナックの件数は多く、近くに自衛隊の駐屯地があるからかなと納得していました。
そのころ使っていたのがキャノンFTb−Nブラックです。学生時代にお金がないので秋葉原のカメラ屋さんで中古で買ったものでした。柳沢真28mm
Posted by suga at 2015年06月06日 12:50



◇sugaさん、書き込みいただきましてありがとうございます。常に前を見て生きていたいと思いつつも、ふとしたことでむかしを懐かしんでしまう自分です。現在、過去、未来とどれかひとつに偏ることなく生きて行きたいものですね。
FTb-Nのブラックをお使いでしたか。いまもお手元にはあるのでしょうか?
Posted by 生出 at 2015年06月07日 08:54
続き(前回途中で書き込みミス)
当時は柳沢信さんや東松照明さんらが広角を使った風景をカメラ雑誌に発表していて広角レンズがほしくなりFD28mmF2.8を新品で購入しました。標準や望遠はお金がなくなったので中古で揃えました。学生時代ですので資金不足で機材欲しさにバイトに励んでいました。
その後会社勤めが始まってからしばらくしてキャノン使いの大御所に刺激されてnewF-1のアイレベル(AEファインダーでないところが拘りでした)をまたまた中古で購入しました。これは風景写真を本格的に撮らせてくれた(機材をいいわけにできない条件のもとで)ものでした。この2台は整備して完璧な状態で現在も手元にあるのですが、如何せんデジタルの時代、フィルムを通すことがなくなって申し訳ないと思っています。たまに引っ張りだしてきては空シャッターを切っているという状態です。最近は昆虫写真の大御所の影響で蝶に興味を持っており、機材もまたまた大御所の影響でオリンパスにしています。
55年生まれですので実は会社勤めを卒業していざ写真三昧にと思っていたら、最近は年金受給年齢が上がっており無収入ではやりたいこともままならず再雇用契約で会社勤めを継続しています。
今後どのような写真生活を送ろうかと思案している最中です。
Posted by suga at 2015年06月07日 13:39



◇FTb、そしてnewF-1もスタンバイ状態で控えているのですね。それをお聞きしただけでsugaさんのこだわりを感じます。私もフィルムから離れてしまい、かつての相棒には寂しい思いをさせています。所詮道具とはいえ、数あるカメラの中から縁あって手元にある訳ですから、愛着が湧かないはずがありません。

人生のある時期を共に過ごし、かけがえのない時間を切取ってくれた機材達。いま当時、自分が撮影した写真を見てみると・・・「傑作をものにしてやる」との粋がった、それこそ青臭い思いも・・・今や単なる思い出に取り込まれてしまいました。どんな写真であっても必ず思い出がくっついてくるんだなぁ〜と、つまり僕の撮った写真は僕の記念写真なんだと気が付きました。少々老成した考えかもしれませんが、もう少し時間が経つと、その考え、思いはさらに強くなるのでしょう。

もちろんいい写真・・・それは自分自身がそう感じればいいだけのもの・・・を撮ってやろうとの気持ちはまだまだみなぎっています。

柳沢さん、東松さん・・・懐かしいお名前です。私が初めて購入したカメラ雑誌が77年11月号のアサヒカメラです。須田一政氏の「会津」、森山大道氏の「十三(大阪)」、北井一夫氏「コルドバ」、さらに山田修二氏、平地勲氏、三木淳氏、奈良原一高氏など錚々たる写真家の作品が詰まっています。この号は私の写真活動の原点であって、いまだに手放せない大切な一冊です。

政治、経済、自然・・・地球規模で歪みというか、隘路というか、これまでにない動きが顕著になっています。行く末を案じざるをえませんが、きっと先が見えた時点でもカメラを離すことはないでしょう。
ただただ安寧を祈るばかりです。
Posted by 生出 at 2015年06月07日 22:31
懐かしいLPです。
 これを聞いて、男とは、こうあるべきなのだ と、一人聞き入っておりました。
 まあ、良い彼女がみつかららず、いやな女からは追いかけられ、困っていた時期なので、これからはクールに男のロマンを追うのだと、自分に言い聞かせていた時期でしたね。
 しかしこのころ、彼が着ていたM−1ジャケットがほしくてバイトしていました 流行りました。そういえば、私は、ルビーの指輪よりも、SASURAI 出航 、SHADOU CITY 、が好きでした。
 濃い色のフライトグラス、古いバーボンそして、ジタン、GT-380.
蒼い時代の思い出です。 でも、大好きだった
      momozo
Posted by momozo at 2015年06月08日 10:46



◇momozoさんもあの時代の思い出は、きっと人並み以上あることでしょう。つまりはドラマをいくつもお持ちになっているということです。ドラマは多い方がいいに決まっています。
さて「Reflections」ですが、聴く時は頭から最後まで通しでかけます。物語の流れのようなものを感じるからです。途中から聴いたり、曲順を変えたりはしません。流れを感じていたいのです。
当然ですが、あの時代は今日の今、この時間にだってつながっています。そして未来に向かって流れています。いつの日か、流れから外れるその時まで生き続けるわけですが、まだまだドラマは作れると思っておりました。
Posted by 生出 at 2015年06月09日 08:25
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