2015年01月09日

ヤシカ エレクトロ35


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初代「ヤシカエレクトロ35」は1966年に発売され、その後、部分的な仕様の改良を重ねると共に他社のコンパクトカメラに対抗すべく小型化・軽量化など仕様の改良を図り、75年発売されたGXを最後に全世界で500万台も売れたロングセラー機であった。

我が家にあったのはブラックタイプの「エレクトロ35GT」だった。このカメラのキャッチコピーは「ろうそく一本の光でも写る」であった。実に時代を反映したコピーである。昭和40年代のはじめ、電灯を使わず、ろうそくだけで夜を過ごす家庭は多分ほとんどなかっただろうが・・・しかし、いまよりもずっと身近な日常品としてろうそくは存在していた。そんな微かな光でも撮影できるカメラが我が家にあるなんて、子供心に「豊かさ」や明るい「未来」のようなものを漠然としつつもイメージしたのを覚えている。なによりも「エレクトロ」という近未来的な言葉が輝いて見えた。

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アポロの月面着陸、大阪万博の開催、そしてドラえもんの連載開始などに象徴される出来事が、さらに未来への希望を膨らませることにつながった。手にした「ヤシカエレクトロ35」のずっしりとした重みは、それを確約しているかのようにさえ感じていたのだった。

長らく我が家のメインカメラだった「ヤシカエレクトロ35」であったが、僕が高校入学以降、撮影で使うことはなくなった。隠遁生活を送る彼をたまに手にして、その質感を愛でるだけの存在になってしまったが、東日本大震災で自宅が全壊してしまい以来行方知れずになってしまった。僕にとって一生忘れられないカメラが「ヤシカエレクトロ35」なのである。
posted by 生出 at 07:50 | Comment(4) | フィルムカメラ
この記事へのコメント
数日前、突然 親父が、
 お前にやる、と言ってフジカのGS645プロを差し出した。
 なんでよ、というと これで撮った作品がみたいそうで、なんでも仲の良カメラマンの方が亡くなり、奥様から分けていただいたそうだ。
 足がいうことを、きかなくなり、気弱になっつたのだろうか。
 こんなことをされると、否が応でも、親子の残された時間を、思い知らされるようで やはり俺は、駄目だなとおもった午後でした。
  momozo
Posted by momozo at 2015年01月10日 23:58



◇momozoさん、こんにちは。そうですか、そんなことがあったのですか。お父様のお知り合いの方の事情は存じ上げませんが、きっとお父様共々無念であったと思います。単なるカメラではなく、きっといろいろな思いを託してmomozoさんへお渡しになったのでしょう。カメラは小さいものですが、そこには言い表せないくらい大きな思いが入っているはずです。私にはすでに両親がいないので、位牌に手を合わせることしか出来ません。私も父との確執がありました。きっとどこの家にもあることなんだと振り返っています。
照れくさいかもしれませんが、GS645でお父様の写真を撮られてはいかがでしょうか。
Posted by 生出 at 2015年01月11日 11:35
本日、親父が・
おまえ、ニコン好きだったよな、といってF100とFM2を寄こしました。
 なんだい、単に、在庫のカメラの数が多すぎ俺に、整理の為に押し付けただけなのでは?と気がついた私でした・・・・・とほほ・・・momozo
Posted by momozo at 2015年01月14日 01:05



◇なるほど・・・そのような落ちでしたか。しかし、間違いなくお父様の気持ちは入っていると思います。F100、FM2共に名機です。
Posted by 生出 at 2015年01月14日 07:54
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