1968年7月にリリースされたザ・フォーク・クルセダーズの「紀元貳阡年」。その前年には自主制作盤LP「ハレンチ」を発表。制作枚数は300枚ほどだったと云われている。その中に収められていた「イムジン河」「帰って来たヨッパライ」が世の注目を集めることになった。とくにシングルカットされた「帰って来た〜」は空前の大ヒット、当時小学生になったばかりの僕にはバカウケの曲だった。♪オラは死んじまっただ〜♪と友達と歌った記憶がある。親からすれば「教育上よろしくない」と思っていたことだろう。
「イムジン河」は南北ふたつに分かれてしまった母国朝鮮の悲劇を歌った名曲である。詳細は不明だが、この曲は元々、北朝鮮で生まれた曲だったらしい。作者不詳のこの曲に日本語の歌詞をつけたのが作詞家の松山猛。しかし朝鮮総連からクレームが入り、シングル盤として出されるはずだったが急遽販売は中止に追い込まれた。
「紀元貳阡年」は「帰って来たヨッパライ」「イムジン河」のヒットに目をつけた数社のレコード会社からオファーの末、東芝音楽工業から販売されることになった。
アルバムに収められているのは全12曲だが「イムジン河」はない。その代わりに入っているのが「悲しくてやりきれない」だ。作詞は"サトウハチロー”、作曲は加藤和彦。ライナーノーツによると、販売中止となった「イムジン河」のメロディを譜面に書き起こし、音符を逆から辿るとどうなるかという遊び心から生まれた曲なのだという。タイトル「悲しくてやりきれない」は販売中止と、歌われている内容の、ふたつの意味を含んでいるのでは?と。
ザ・フォーク・クルセダーズ解散後、加藤和彦は「サディスティク・ミカ・バンド」を結成。さらに様々な音楽シーンで、作詞、作曲、プロデュースとその才能を発揮したが、2009年10月に自ら命を絶った。北山修は作詞や執筆活動、映画出演などに勤しむも、精神科医としての顔を併せ持つ。はしだのりひこは「はしだのりひことシューベルツ」などのグループを経てソロ活動に入る。しかし2017年12月に病死している。
ライナーノーツは「時代の一歩先を行った画期的な作品。新たな地平を切り開いて見せた。重要作として永遠に聞き継がれていくべき名盤」と結んでいる。