2021年01月27日

川名和夫写真展「四季の彩り」開催!


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上記内容にて写真家・川名和夫さんの個展が開催されます。皆さん、お誘い合わせの上、是非ご覧ください。
会期は2月と6月の2回です。

川名さんは写団ふくしまの代表をされている方で、写真教室などで多くの方への指導もされています。熟練された眼力で撮影された作品は自然の素晴らしさを余すことなく表現されています。
posted by 生出 at 08:13 | Comment(0) | 写真展・絵画展など

2021年01月25日

第61回目の入選!


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へなちょこで牛歩の歩み夢心地

民報川柳、第61回目の入選の宮森さんである。

人は誰でも自分の歩くペースを持っている。誰かと比べて早いか遅いか、平均よりも上か下か・・・とかく日本人は平均値が好きで、行動の指標を平均に至っているか否かで一喜一憂する傾向があるようだ。

自分の価値観だけでというのは無理かもしれないが、過度に人様を意識することなく自分の歩む速度で、ささやかでもいいから、夢を追い続けたいものだ。

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写真は我が家を訪れた宮森さん。いつもマイペースです。
posted by 生出 at 08:37 | Comment(0) | M's works

2021年01月22日

昭和村「喰丸小学校」


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昭和村のシンボルと云ってもいい「喰丸小学校」。廃校になって、どのくらい経ったのだろう。校庭の銀杏は、樹齢100年を超えるのだと云う。

もし子供達が通っているのなら、この雪原は彼らにとってパラダイス!除雪した雪山からダイブする子供がきっといることだろう。僕もこの年になっても、そう思ったのだから、雪は童心を呼び覚ます力を持っているのかも。
posted by 生出 at 22:14 | Comment(0) | その他

2021年01月21日

悲運の作家「生出仁(おいでまさし)」


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『愛闘』は、江戸末期の嘉永6年、旧南部藩で起こった大百姓一揆「南部三閉伊(さんぺい)一揆」を素材にした小説である。1930年(昭和5年)、作者は今東光として出版された。当時は「奥州流血録」と云うタイトルであり、実は真の作者が「生出仁(おいでまさし)」であったことは、世に知られていなかった。時を経て、1988年12月6日にタイトルを『愛闘』とし、作者も「生出仁」として出版され、初めて世に知られるところとなった。彼の死後(1954年12月6日没)から実に34年、「奥州流血録」が出版されてから58年の歳月が流れていた。

生出仁は1904年(明治37年)に宮城県桃生郡飯野川町(以前の河北町皿貝、現在は石巻市皿貝)に生まれた。石巻市に父の経営する旅館兼下宿屋があったが、本業以外の事業に手を出し失敗、一家は岩手県千厩町に移る。盛岡高等農林学校を中退後、岩手県庁に務めるも数年後に退職。その後(1926年)、上京し文学活動に専念する。

上京した仁は詩の創作に旺盛な活動を展開し、詩誌の刊行にも携わる。1930年「岩手詩集」の発刊が企画され、その編集委員として宮沢賢治ら12名が選ばれたが、仁の名もその中にあった。

その3年前、1927年10月、岩手県胆沢在住の小学校教師で詩人の「織田秀雄」が雑誌「天邪鬼」を刊行。「天邪鬼」その二に、仁は『出水』と云う短編小説を寄せている。その内容は、小作農の娘が借金のカタに貞操を踏みにじられ、その結果、生まれた赤ん坊を雪解け水が轟々と流れる濁流に投げ捨てる、という悲劇を描いたものだった。当時の農民の苦しい実態を見事に描いた珠玉の短編であり、プロレタリア文学史にも列せられてもおかしくないほどの内容だったという。

仁が『愛闘』を執筆したのが1927年から30年にかけての期間だった。仁自身、この作品の出版を強く望んだが、世間的には無名に近い作家の作品を出版してくれる出版社はなかった。当時すでに気鋭の作家として知られていた「今東光」名で出版されたのは、主に出版社側の販売の都合によるもので、仁も了承してのことだ。

1930年の週刊朝日5月号に今東光の短編小説「出水・・・郷土的記録・・・」が掲載された。この作品は、前出の仁作の『出水』に僅かに加筆されたものだった。当時、著作権という概念が今ほどは確立されておらず、仁と今東光の関係のように、代筆(代作)はしばしば見られたことであった。

1933年、仁は突如として日刊自動車新聞社に入社し、文学活動と決別をする。そのあまりにも早い転身は、彼を知る者が驚きの声を上げられないほどだったという。その後も専門雑誌、業界紙に携わるも、1954年50歳の若さで鬼籍に旅立ったという。

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『愛闘』が出版された当時、亡父は直ぐにこの本を購入し、感慨深げに読んでいた姿を今思い出している。仁の出身が同じ河北町皿貝だったので、いてもたってもいられなかったのだろう、家系を調べ僕に見せてくれた。この写真を見て、伯父や従兄弟にも似ていると僕も思った。しかし当時、20代半ばだった僕には関心事が他にもあり、それどころではなかったのである(笑)

東日本大震災で実家が無くなってしまい、父が調べた資料を見ようにも、それは叶わない。後悔すること仕切りである。今回、たまたま古書で見つけた『愛闘』を早速仏前に供えたのであった。
posted by 生出 at 17:43 | Comment(0) | その他

2021年01月19日

お食事処「みやもり」


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お食事処「みやもり」は、猪苗代町の沼尻温泉街にある食堂と呑み屋さんを兼ねた店である。創業がいつ頃からなのかはわからないが、最初に入ったのは15年くらい前だっただろうか?なんとなく入りやすそうな感じがして、ふらりとよったのだった。

この日は、数年ぶりの入店である。入り口にいる猫は飼い猫のようで、仕切りに「開けろ、開けろ」と鳴いていた。僕の存在に気がつくとピタッと泣きやむ。僕が入るのを見越していたようだ。

で、一緒に入店した。

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午後1時を過ぎた時間だったからかお客さんは誰もいなかった。がらんとしていて、ちょっと寂しい感じ。でもお店のお母さんとお姉さんは明るく対応してくれた。厨房には無口そうなオヤジさんがいた。これはまっとうな組み合わせである(笑)

夜になると呑み屋さんになるのだろう。棚の中には日本酒、焼酎の一升瓶が鎮座していて、夜の出番を待っている。しかしコロナ禍で、温泉街全体の活気は残念ながら以前のようではないのだろう。ほんとうに残念である。

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久しぶりに「煮込みカツ丼」を頼む。お値段は1000円。厚めで柔らかいカツが食欲を増進させるグレリンを激しく分泌させる。一気に平らげてしまった。食べ終えて「もうあと半分だけ」と言いたくなったが、レプチンが待ったをかける。これもまたまっとうな話である。

次回はソースカツ丼をいただきます。




posted by 生出 at 18:15 | Comment(0) | ふらりとよった店

2021年01月18日

JA11との再会


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これは、かつて僕が乗っていたジムニー (JA 11初期型)だ。この写真の撮影は2003年12月15日だから、あれから結構な時間が経っている。会津若松市内を走っていたら、なんだか懐かしいシルエットを発見。近寄ってみると紛れもなく、かつての愛車であった。

慌ててコンデジで撮影したのでブレブレである。当時のデジカメには、ブレ防止装置などは付いていなかった。

IPF、OFF ROAD EXPRESSのシールは僕が貼ったもの、キルトのスペアタイヤカバーもそのままだった。ハイマウントストップランプはオプションで付けた。写真からはわからないが、リアシートを前後にスライドさせることが出来るスライダーも装着。その他、細々としたオプションでカスタマイズさせたのだった。

JA 11は軽自動車の排気量が550ccから660ccへとアップされた1990年に発表された。馬力、トルク、リーフスプリングのバネレートの見直しなどが施され、前モデルのJA 71を凌駕していた。排気量見直しとともに全長が10センチ長くなったが、これは前のバンパーの長さが延長され、これによりバンパー上に補助ランプが搭載できるスペースできた。

ボディのバリエーションはバン、パノラミックルーフワゴン(登録は貨物)、そしてフルメタルドア(幌車)の三種だった。

たまたま過去のデータの中から見つけたのだが、偶然の出会いから既に18年が経過しているなんて・・・。その後、かつての愛車と遭遇したことは、残念ながら一度もない。あれからどんな人生を歩んだのか知りたいものだ。


posted by 生出 at 22:54 | Comment(2) | クルマ

2021年01月13日

珈琲舎 器、マスター見参!


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珈琲舎器の常連客だった方から「マスターはどうしていますか?」と尋ねられることがある。僕も四六時中一緒にいるわけではないので、たいていは「元気ですよ」と答えていることにしている。実際、元気です。

先日、マスターと一緒に喜多方市内の中古楽器店へ行ってきた。掘り出し物がないか真剣な表情で数台のギターを試し弾き。店主が「こちらで歌ってみたらどうですか?」と勧められると「じゃあ〜」とすぐに反応するのが、マスターのいいところである。十八番の下田逸郎を2曲、さらりと歌った。店内にいたお客さんも聞き入っていた。

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マスターは、桑名正博にも傾倒していて、見た目も似ていることから、僕は「喜多方の桑名正博ですね」と云うと「何が欲しいの?」と満面の笑顔で答えるのである。前にラーメンをご馳走になったことがあったっけ(笑)


posted by 生出 at 08:40 | Comment(0) | 馴染みの店

2021年01月10日

只見町の積雪


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この写真は昨年末に撮影したもの。まだ可愛いレベルの雪の壁である。年が明けてから北陸地方をはじめとして多くの地域で猛烈な積雪量となっている。只見町も2メートルを超える勢いの積雪なのだとか。これ以上、被害の出ないことを願うのみである。
posted by 生出 at 22:18 | Comment(0) | クルマ

2021年01月09日

裏磐梯の積雪


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昨年の積雪と比べると、今年は冬らしい積雪量の裏磐梯である。雪の壁は2019年の1月より高くなっている。昨年は桧原湖が結氷せず、風物詩のワカサギの穴釣りが出来ないという異常事態だった。今冬は積雪に関しては、おそらく心配はないだろう。

しかし他県では雪害が発生している。人間にとって、ちょうどいい感じ・・・にはなかなかなってくれない。
posted by 生出 at 21:40 | Comment(0) | クルマ

2021年01月07日

サバの西京焼き


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新しい年になってから、今日で7日目。まだまだ今年も先があるな・・・と油断している(笑) 毎晩のメニューもマンネリ化していて、焼き魚もいくつか焼いたのだが、だいたい飽きてしまった。しかし魚は体に良いと言われているので、なるべく口にしている。

昨夜ではあるが、サバの西京焼きにしてみた。白味噌に漬けてあるからだろうか?いつもの火加減で焼いたら焦げてしまった。次回は仕損じないよう一段日の強さを弱めて焼いてみよう。

魚は二切れあるが、一切れは翌朝、つまり今朝の分である。

味噌汁の具材は大根、エノキ、豆腐、油揚げ。他に並んでいるのは、もずく酢、卵焼き(自前)、サラダ、リンゴ。主夫としては合格点をもらえるだろうか(笑)
posted by 生出 at 22:25 | Comment(2) | 男の料理

2021年01月01日

お雑煮


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お雑煮を作った。今年は三つ葉ではなくセリを使った。年末年始になると、なんでこんなに食材が高くなるのでしょうね(笑)海老天なんぞ、3尾で600円近くもする。私は3尾で380円の安物(それでも高い)にしたのであった。
posted by 生出 at 10:51 | Comment(0) | 男の料理

明けましておめでとうございます。


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新年あけましておめでとうございます。誰にとっても良い年でありますように!

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今年も一年、宮森さんの作品を毎月お披露目いたします。
posted by 生出 at 10:14 | Comment(0) | M's works