初代「ペンタックス645」の発表は1984年、32年も前のことになる。来たるべくネット社会のことなど一般人は想像すらしていない時代である。もちろんデジカメのことも・・・。発売のニュースはアサヒカメラだったか、日本カメラだったかは忘れたが、いずれ誌面の速報からであった。84年というと、僕はまだ自然風景を撮っていない。ニコンF2にトライXを詰めて、たまに街角スナップをする程度だった。なので、発表時はまったく興味がなかった。
実機を手にしたのは92〜3年頃だったように記憶している。645の前はペンタックスの6×7、45ミリ、75ミリ、90ミリ、135ミリ、200ミリで風景を撮影していた。6×7の大きく重たいボディ、三脚にしっかり固定してもシャッターを切るとボディの揺れが見えるほどの衝撃は、はっきり言ってメンタル的にあまり気持ちのいいものではなかった(笑) なのでレンズシャッターのマミヤRBに切り替えようか、などと考えもしたが財力の関係でそれは諦めた。
ストレスとはいかないまでも、解決策はないものかと考えを巡らせて、辿りついたのが「ペンタックス645」であった。カタログを見るとアダプタを介して6×7のレンズの装着が可能であることが判明。これが決定打となり購入を決めた。

いざフィルムを詰めて撮影をしてみると、その軽快なシャッター音、巻き上げ音は実に心地よかった。ミラーアップは出来なかったものの、ショックは6×7に比べて遥かに小さく、当時はその必要性はあまり感じなかった。
操作は上部に集中している。ボタン操作は同社35ミリ判のMEスーパーを発展させたようなイメージ。露出補正は±1段ずつだったが、僕はマニュアル露出だったので、最後まで露出補正ボタンには触らなかった。

ハッセル、マミヤ、ブロニカのようなフィルムバックの途中交換は出来ない。一本のフィルムを取り終えてから別のフィルムを装填する。使用するのはいつも同じフィルム(ベルビア50)だったので、この点に関しても不便さはまったく感じなかった。
平行してシノゴの撮影もしていたので、いつしか645はサブカメラ的な位置づけになってしまったが、カット数を稼ぎたいとき、機動性が必要な撮影ではメインとして使っていた。
645の発表の翌年に35ミリ一眼レフは本格的なオートフォーカスの時代に突入した。ミノルタα7000の登場である。その後も645はしばらくわが道を進む。しかし97年には645も遂にオートフォーカス化されることになる。「645N」の登場である。01年にはミラーアップも可能となった「645NU」へと進化した。フィルムの645シリーズも、いつしか終焉のときを向かえ、その後、645Dから現行の645Zとなる。
現在、裏磐梯の有名な撮影地辺りで周囲を見てみると、ほぼ100パーセントに近い割合でデジカメが幅を利かせている。でも極稀に、あの645独特のフィルム巻上げ音を耳にするときがある。そんなとき僕は反射的に音のする方を見てしまうのであった。