2016年10月31日

秋のライブ


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事後になりましたが・・・会津美里町の東尾岐の天宝山荘にて、日大ジャズ研のメンツを中心とした長嶺バンド、末永マークさんのライブが開催されました。

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そして、私も2曲ですが、ギターインストを披露いたしました。

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それではまた(笑)
posted by 生出 at 21:57 | Comment(0) | 音楽

2016年10月28日

コニカL


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写真は男が撮るもの・・・そんな偏ったイメージに支配されていた時代があった。実際、職業写真師は、ほぼ100パーセントが男だったし、アマチュアも男が大勢を占めていた。女性の社会進出もいまほどではなく、家計を支える男が全権を握っていたわけだから、カメラが家庭にあったとしても、男が占有するのが当然という空気があった。

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1961年発売の「コニカL」は、女性をターゲットにした初(?)のカメラだった。ネーミングの「L」は「Lady」と「Light」の頭文字からとったという。前出の「フジペット」は子供用、そしてこちらは女性用である。メカ的な部分は、フジペットより進化していて、幅広いシチュエーションに対処できるようになった。シャッタースピードは B、1/30〜1/250秒で、レンズは開放F値が2.8のヘキサー40ミリが装着されている。最短撮影距離は1メートル。

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露出計は電池不要のセレン式。露出計の針が真ん中に来るよう、レンズのグレーリングを回して調整する。ピント合わせは目測である。距離が刻印されているレンズの先端部を回して、撮影者が感覚的に合わせる。このあたりの操作は、メカに弱いといわれている女性にはありがたかったのでは?メカに五月蝿い男の眼には「物足りない」と映ったことだろう。

話は変わるが、写真教室に参加した人たちを見ていると、男はメカの話では盛り上がるが、女性は撮影そのものを楽しむ傾向が強いように感じている。撮影した写真を見せてもらうと、感覚的に捉えた女性の作品にいいものが多い、なんてことがままあるのである。実は女性は写真撮影に向いているし、そしてうまい・・・というのが僕の印象である。

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さて、フィルムを装填するために裏蓋を開ける。ご覧のようにユニークな開き方をする。コニカ(当時は小西六写真工業)製であるからして、サクラフィルムを装填してね、のシールが眼を惹く。

当時としては小さなボディサイズ、シンプルな操作など、女性向きのこのカメラがどれほど支持されたかはわからない。しかし女性が新しい分野へ進出する、ひとつのきっかけにはなったでないだろうか・・・と僕は思ったのであった。
posted by 生出 at 12:42 | Comment(0) | フィルムカメラ

2016年10月25日

Nashville Skyline


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1969年にリリースされた「Nashville Skyline」は、これまでのディランの印象をくつがえすアルバムだ。なんといっても歌声が別人かと思わせるほど甘く美しいのだ。独特のしゃがれ声を聴くことはできない。そしてカントリー調の馴染みやすいメロディーが続く。インストゥルメンタルの曲もあり、当時、ファンを大きく裏切ったと評する人もいた。逆に言えば、ディランのしゃがれ声にアレルギー反応を起こす人には聞きやすいアルバムとも云える。ファン以外の人に、アーティスト名を伏せて聞かせたら「Bob Dylan」と気づく人はいないと思う。

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「ノーベル文学賞」受賞に関する報道で、同賞選考委員の一人が「本人といまだに連絡がとれない」のは「無礼で傲慢」であるとディランを批判。ディランはとても気難しい人間だといわれている。彼の公式サイトには一時、受賞の表記があったようだが、いまは削除されている。授賞式に本人が出席するかどうかはわからないけれど、受賞を大いに喜ぶ人と、ディランのような人と、偉大な賞に対する態度の違いは・・・実に面白い。

ファンはお気に入りのアーティストに「らしさ」を求めるのが常である。表現において新しい切り口や手法を変えたりすると、すぐに非難や批判されるのも常である。「Nashville Skyline」のように、ファンを大いに戸惑わせたディラン。少々のこと(?)で驚いてはいけないのかもしれない。
posted by 生出 at 12:36 | Comment(0) | 音楽

2016年10月24日

35回目の入選


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35回目の入選の宮森さんである。

 あがらんしょ 避難解除で 草鞋脱ぐ

東日本大震災の被害で仮設住宅などで過ごすこと5年あまり。原発事故のダブルパンチをくらった地域の人にとって、待ちに待った帰宅である。

長い旅を終え、我が家へ帰れた喜びはいくばくか、はかりしれない。通常の旅であれば、それなりの充足感はあるだろうが、強制的に移動させられ、且つ隣家の音が筒抜けの仮設という劣悪な環境からようやく解放されたのである。しかし地域のコミュニティは震災前とは比べものにならないほど崩壊したままだ。かつての平穏な日常を送るには、まだまだ時間がかかる。

我が家に帰れた本人も、訪ねてきた知り合いも、刹那的には草鞋を脱ぐ思いでホッとするだろうが前途は多難である。そういう意味において、この作品がうたっている内容は深い。

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ひまわり娘ならぬ、ひまわりオジサンの宮森さんである。気休めになるかどうかはわからないけれど、宮森さんの姿を見て一瞬でもいいから安堵感を感じていただければ幸いである。福の神と云われている「仙臺四郎」並のご利益が、もしかしたらあるかもしれない。さっそくプリントして部屋に飾りましょう。
posted by 生出 at 22:17 | Comment(2) | M's works

2016年10月20日

ペンタックス645


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初代「ペンタックス645」の発表は1984年、32年も前のことになる。来たるべくネット社会のことなど一般人は想像すらしていない時代である。もちろんデジカメのことも・・・。発売のニュースはアサヒカメラだったか、日本カメラだったかは忘れたが、いずれ誌面の速報からであった。84年というと、僕はまだ自然風景を撮っていない。ニコンF2にトライXを詰めて、たまに街角スナップをする程度だった。なので、発表時はまったく興味がなかった。

実機を手にしたのは92〜3年頃だったように記憶している。645の前はペンタックスの6×7、45ミリ、75ミリ、90ミリ、135ミリ、200ミリで風景を撮影していた。6×7の大きく重たいボディ、三脚にしっかり固定してもシャッターを切るとボディの揺れが見えるほどの衝撃は、はっきり言ってメンタル的にあまり気持ちのいいものではなかった(笑) なのでレンズシャッターのマミヤRBに切り替えようか、などと考えもしたが財力の関係でそれは諦めた。

ストレスとはいかないまでも、解決策はないものかと考えを巡らせて、辿りついたのが「ペンタックス645」であった。カタログを見るとアダプタを介して6×7のレンズの装着が可能であることが判明。これが決定打となり購入を決めた。

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いざフィルムを詰めて撮影をしてみると、その軽快なシャッター音、巻き上げ音は実に心地よかった。ミラーアップは出来なかったものの、ショックは6×7に比べて遥かに小さく、当時はその必要性はあまり感じなかった。

操作は上部に集中している。ボタン操作は同社35ミリ判のMEスーパーを発展させたようなイメージ。露出補正は±1段ずつだったが、僕はマニュアル露出だったので、最後まで露出補正ボタンには触らなかった。

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ハッセル、マミヤ、ブロニカのようなフィルムバックの途中交換は出来ない。一本のフィルムを取り終えてから別のフィルムを装填する。使用するのはいつも同じフィルム(ベルビア50)だったので、この点に関しても不便さはまったく感じなかった。

平行してシノゴの撮影もしていたので、いつしか645はサブカメラ的な位置づけになってしまったが、カット数を稼ぎたいとき、機動性が必要な撮影ではメインとして使っていた。

645の発表の翌年に35ミリ一眼レフは本格的なオートフォーカスの時代に突入した。ミノルタα7000の登場である。その後も645はしばらくわが道を進む。しかし97年には645も遂にオートフォーカス化されることになる。「645N」の登場である。01年にはミラーアップも可能となった「645NU」へと進化した。フィルムの645シリーズも、いつしか終焉のときを向かえ、その後、645Dから現行の645Zとなる。

現在、裏磐梯の有名な撮影地辺りで周囲を見てみると、ほぼ100パーセントに近い割合でデジカメが幅を利かせている。でも極稀に、あの645独特のフィルム巻上げ音を耳にするときがある。そんなとき僕は反射的に音のする方を見てしまうのであった。
posted by 生出 at 12:33 | Comment(2) | フィルムカメラ

2016年10月17日

キヤノンF-1


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キヤノンが5年の歳月と数十台分の開発費をかけて世に送り込んだのが「F−1」である。1971年3月に発売された。プロ市場はすでにニコンF、F2に席巻されていた状況であったが、そこへ殴りこみをかけたのが「F−1」であった。

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ボディの耐久性は+60度〜−30度、湿度90パーセント、連続10万回に耐えるシャッターユニット・・・その頑丈さは「重戦車」と形容された。新しく開発されたFDレンズ群はカラーバランスに優れ、さらに無調整で取り付けられる各種アクセサリーも開発。あらゆる撮影に対処できるシステムが構築された。報道からコマーシャルまで、あっという間に幅広い世界で支持された。遥かうしろを走っていた選手が猛ダッシュで迫り来る足音に、ニコンは戦々恐々だったのではないだろうか?

1972年には、固定ペリクルミラーを使用した「F−1高速モータードライブカメラ(当時、世界最高速の秒間9コマ)」が発表された。同年ドイツ・ミュンヘンで開催されたオリンピックで好評を博し、1976年のモントリオールオリンピックでは、公式カメラに認定され、一気にニコンの牙城を脅かすことになる。次第にスポーツ中継ではキヤノンの白レンズの砲列が数多く見られるようになり、ニコンを席巻してしまった。

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ニコンF、F2、そしてF−1を使った僕の感想としては、ボディの作りこみはF−1に軍配が上がる。F2にはチタン製ボディがあったものの、F−1の分厚い鉄板(実際は真鍮)は少々の衝撃ではびくともしない。情けない話だが・・・撮影中、油断をしてコンクリートにF−1を落としたことがあった。ペンタ部分は大きく凹んでしまい、これは間違いなくプリズムにもダメージがあるだろうとファインダーを覗いたところ・・・まったく無傷だった。その状態で数年は使っていた。

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ファインダーの交換はスライド式で、左右の着脱ボタンを押して引くと、すっ〜と引き出せる。装着も実にスムーズ。FやF2のように親指の爪やコインで着脱ボタンを押す、あのストレスはない。ファインダースクリーンも当然交換式で、スクリーンの溝に爪を引っ掛けると、これまたストレス無く取り外せる。F、F2はボディをひっくり返して、着脱ボタンを押さなければならない。これは事実かどうかはわからないが、F−1発表の際、キヤノンの担当者が開けた裏蓋を持ちながら、カメラをぶんぶん振り回して「このくらい全然へっちゃらです」とボディの堅牢さをPRしたという。F2の柔らかい裏蓋で、そんなことは到底出来ない。また「10年間は、モデルチェンジをしない」という公約も信頼性を得るものであった。実際は1976年に小さな改良(13箇所)が加えられ、そのボディはF−1Nと表記されていた。ブログ紹介のF−1は初期モデルである。

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当時使っていたF−1は35年ほど前に手放してしまった。知人のF2Photomicと交換してしまったのだ。あのころ僕は使い慣れたF−1に多少の未練はあったものの、キヤノンでもニコンでもどちらでもよかった。双璧のひとつをなすニコンを使ってもいいかな、くらいの気持ちだったのだ。知人は海外青年協力隊としてエチオピアへ赴き、彼の地でF−1を使うも、帰国時にあちらの知人に譲ってしまった、と言っていた。いまもアフリカ大陸にあの「F−1」はあるだろうか?
posted by 生出 at 08:23 | Comment(0) | フィルムカメラ

2016年10月14日

THE FREEWHEELIN'N BOB DYLAN


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ボブ・ディランの代表曲といわれている「風に吹かれて」は1963年に発表されたセカンドアルバム「THE FREEWHEELIN' BOB DYLAN」に収録されている。昨日から幾度となくこの曲を耳にされている方も多いことだろう。そう、ディランにノーベル文学賞が授与されたのだ。

これまでにグラミー賞、アカデミー賞、ピュリッツァー特別賞、大統領自由勲章などを受章。ロックの殿堂入りも果たしている。そして今回のノーベル文学賞の受賞。シンガーソングライターとしては、もちろんはじめてで、今後ディランのような人物が現れることは、まずないだろう。スウェーデン・アカデミーは「口語で表現する偉大な詩人であり、54年もの長きにわたり自身を改革しながら、新しいアイデンティティーを創造し続けた」と賞した。

   BLOWIN' IN THE WIND(風に吹かれて)

 How many roads must a man walk down
 Before you call him a man?
 How many seas must a white dove sail
 Before she sleeps in the sand?
 How many times must the cannon balls fly
 Before they're forever banned?

 The answer, my friend, is blowin' in the wind
 The answer is blowin' in the wind

 How many years can a mountain exist
 Before it's washed to the sea?
 How many years can some people exist
 Before they're allowed to be free?
 How many times can a man turn his head,
 And pretend that he just doesn't see?

 The answer, my friend, is blowin' in the wind
 The answer is blowin' in the wind

 How many times must a man look up
 Before he can see the sky?
 How many ears must one man have
 Before he can hear people cry?
 How many deaths will it take till he knows
 That too many people have died

 The answer, my friend, is blowin' in the wind
 The answer is blowin' in the win

この曲を最初に世に知らしめたのがディラン本人ではなくPPM(ピーター・ポール&マリー)であった。「THE FREEWHEELIN'」がリリースされた3週間後にPPMバージョンが発表された(当初、ディランのしゃがれ声は、大衆には受けなかったという)。このヒットを機に他の曲もカバーされ始め、ディラン自身も注目されることになる。

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ディランの歌詞には隠喩に満ちた抽象的な言葉がちりばめられている。これは聞き手が自由で多様な感じ方(解釈)が出来る幅が広いということだ。ディランに関する書籍は世界的に見てもその数はあまりに多い。自らをディラン研究者と標榜する人もまた多い。すでに神格化されたディランではあるが、さらに時代が下れば、彼の言葉は神のごとく崇め奉られるのかもしれない。そのときも人類は戦争をしているのだろうか?
posted by 生出 at 20:50 | Comment(2) | 音楽

2016年10月12日

クリームシチュー


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一気に寒さがやってきた。そんな夜はやっぱりクリームシチューでしょう。食しながら、ふと思い出したのは小学校の給食に出たシチューのことであった。当時としてはご馳走だったわけで、たいていの子供は残さず食べていた。僕はコッペパンにつけて食べるのが好きだったなぁ〜。
posted by 生出 at 08:22 | Comment(2) | 男の料理

2016年10月11日

フジペット


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1957年(昭和32年)に販売された富士写真フィルムの「フジペット」は、初心者(主に小学校高学年〜)向けの中判(6×6)カメラである。作りはいたって簡易。各部にプラスチックを多用し見た目よりも軽量だ。ボディのカラーバリエーションは黒、赤、緑、緑、黄、グレーがあったらしい。撮影に関して小難しい理屈はいらない。レンズは75ミリ固定で開放F値は11(選べる絞りは11、16、22・・・お天気マーク有)、ピント合わせの機能はない。視野は上部流線型のファインダーを覗く。シャッター速度は1/50とバルブのみ。上部のダイヤルを回してフィルムを巻き上げる。カメラ本体にフィルム巻上げカウンターが無いので、背面の赤窓でフィルムの裏紙に印字された数字で確認をする。

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レンズのレバーには「1」「2」と数字が刻印されている。「1」でシャッターをチャージ、「2」でシャッターが切れる。実にシンプルである。うっかり巻上げを忘れると、多重露光されたカットが量産される・・・わけである。

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フィルム交換は裏蓋をカパっと外すタイプ。フィルムメーカーが作ったカメラなので自社フィルムの使用を促すようなシールが貼ってある。

フジペットは小学生だけでなく多くの年齢層に支持され、爆発的な人気となった。ちなみに当時の販売価格は1950円。子供の小遣いで買えるものではなかったが、戦後10年以上が経ち復興を加速させる経済に明るい未来を感じはじめた国民が多かったのだろう。そんな高揚感にほだされて購買も加速したのかもしれない。
posted by 生出 at 08:29 | Comment(0) | フィルムカメラ

2016年10月09日

アサリの酒蒸し


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アサリの酒蒸しを作ってみた。はじめはワイン蒸しにする予定だったが、わざわざ白ワインを買うのもコスト的にもったいなかったし、日本酒が少量だが残っていたので、酒蒸しにしたのであった。作り方はCookpadを参照ください(笑) それにしても箸でアサリを突っつくのって、けっこう面倒くさい。
posted by 生出 at 23:40 | Comment(2) | 男の料理

2016年10月08日

「アートぶらり〜」展はじまる


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毎年恒例、蔵のまち「アートぶらり〜」展がはじまりました。今年で第16回になります。珈琲舎うつわでは能面師浅見晃司氏の作品がご覧いただけます。期間は10月31日(月)までで午前11時〜午後5時半までです。

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皆さんのお越しをお待ちしています、と器のマスターも申しておりました。連絡先は0241−23−2250です。美味しい珈琲を飲みながら、ぜひ本物の作品をご覧いただければ幸いです。
posted by 生出 at 16:43 | Comment(0) | 馴染みの店

2016年10月06日

金婚の歌


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こちらの句の掲載を忘れていました。

 皺増えた 妻の寝顔に 感謝して

前出の「うつけ者」の句は女性の目線、そしてこちらは男性目線で作られています。同じ作者が男性、女性双方の目線に立って「夫婦」の有り様を見つめています。とくに女性目線から見た句は、作者ご自身?のふがいなさを認めつつも、あんまり攻めないで・・・と口には出せない(言い返せない)男の弱さすら感じるところであります(笑)

冷たい視線を浴びせられながらも、奥さんには感謝する・・・これぞニッポン中年男子のこころだぁ〜!(ここで小沢昭一の小沢昭一的心のテーマソングを、ぜひ聞いてください)
posted by 生出 at 08:12 | Comment(0) | M's works

2016年10月05日

キノコと豚肉の炒めもの


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NHK「きょうの料理」に感化されて作ったのがこれである。キノコはブナシメジ、エノキダケ、舞茸を用意。サラダ油でしんなりするまで炒める。それから豚肉を炒め、味付けは酒、味醂、砂糖、醤油をお好みの量で。皿に盛ったら刻み海苔をトッピングして完成である。鷹の爪を少量使ってもよかったかもしれない。

さて、最近、シンプルな味噌汁がお気に入りである。アオサと小口ネギを予めお椀に入れておく。そこへ出来立ての味噌汁(具は豆腐のみ)を投入。なんともいい香りがして食欲を刺激するのである。
posted by 生出 at 08:11 | Comment(2) | 男の料理

2016年10月04日

34回目の入選


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ご報告が遅くなりました。宮森さん、34回目の入選です。

 50年 惚れた亭主は うつけ者

うつけ者は「空け者」「呆気者」と表記するようで、まぁ〜褒め言葉とは反対の意味に捉えたほうがいいだろう(笑) この句が誰のことを言っているのかは別として、男と女、時間が経てばお互いの見る世界が、別であることに気がつくこともあるのでしょう。時の流れは、ある意味、残酷です。

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小躍りする宮森さんである。けっして「うつけ者」ではないことを私が保証いたします。
posted by 生出 at 08:18 | Comment(4) | M's works

2016年10月01日

十月


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会津地方も、ここかしこで稲刈りが始まりました。実りの秋ですね。さっそく新米を手に入れました。昭和村の無人販売所に並んでいた新米をゲット。まずは、炊きたてをそのままでいただくことにしよう。メインのオカズは何にしようかな?
posted by 生出 at 16:50 | Comment(0) | M's works