2016年03月31日

ペンタックスS2


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ペンタックスメーター付きのS2である。S2はニコンFと同じ1959年に発売された。スペックとしてはシャッター速度1〜1/1000、B、Tで必要十分。セルフタイマーは搭載されていない。露出計が内蔵されていないのでオプションで用意されたのがペンタックスメーター。合体するとご覧のようになる。一体感のある姿はカッコいいではないか。キヤノンフレックスRPよりデザインは上である。このS2の姿を見て、僕はなぜかマジンガーZを思い出してしまった。見た目はぜんぜん似ていないけど・・・。

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新たに開発されたジェットスクランダーと合体すると(マジンガーZの話です)、飛行が可能になり空飛ぶ敵にも対処できるようになった。合体して新しい機能が加わるところにしびれるのである。しかしシリーズ第二弾のグレートマジンガーになるとスクランブルダッシュという翼(なんと展開も収納も可能)が標準装備されている。いちいち合体しなくても空を飛べるようになったのだ。機動性は高まった。そして追加された新しい武器(マジンガーブレード(剣)、グレートブーメラン)により戦闘能力も大幅にアップされた。こうなるとZの立つ瀬がなくなってしまう。

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マジンガーZを視ていたのは僕が小学五年くらいだったろうか・・・。中学に入るとたまにグレートマジンガーを視たような記憶はあるが、興味、関心はいつの間にかフェードアウトしてしまった(当然か・・・)。最終回がどうなったのか、調べればわかるるけど、そこまでしたいとも思わない(笑)

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さて車でもパソコンでも、そしてデジカメでも新しい製品が登場すると、まず目の行くところはスペックである。これもまた当然至極のことだ。ただ1年も経つと、次はどうなる?どんなスペックになる?と世間は気にしはじめる。新製品のスペックは、まちがいなく上がるものだが、この先何処まで行くのやら。天井はあるのだろうか?ブログで紹介しているフィルムカメラ達を手にとると、思うことはただひとつ。やはり写真は撮影者の感覚、感性がものをいうのだな・・・と。しっかりしたテーマとモチーフがパイルダーオン!すれば恐いもの無し?
posted by 生出 at 08:09 | Comment(0) | フィルムカメラ

2016年03月30日

CoCO壱番屋監修「カレー焼きそば」


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あのCoCo壱番屋が監修した「カレー焼きそば」である。これまで青木食品、マルちゃんのカレー焼きそばを食してみた。麺の量とモチモチ感、そして肝心のカレーの風味と味・・・トータル的に僕好みであった。具材は豚バラ、キャベツ、人参、タマネギを使った。彩りを考えるとピーマンを加えてもよかったかなぁ〜。
posted by 生出 at 07:45 | Comment(0) | 男の料理

2016年03月28日

ニコンF


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このカメラほど伝説の多いカメラはないだろう。1959年登場の「ニコンF」である。以前もブログに書いたが、日本を世界に冠たる一眼レフ大国へと押し上げた最大の功労者。ライカM3に対抗すべく開発されたニコンSPであったが、やはりライカには太刀打ちできなかった。急遽取り掛かった(らしい)F開発の内情はわからないが、メカニカルに関してはSPと共通する部分も多い。レンジファインダーに比べ豊富なレンズバリエーションと高い耐久性を誇るFのボディは、とくに報道関係者に歓迎され、あっという間に「報道のニコン」のイメージが世に植えつけられた。東京オリンピックで報道席にずらりと並んだニコンFはまさに圧巻であった。

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Fは登場以来約15年間の長きにわたり製造が続き、一説によると90万台近く売れたらしい。その間、ボディの意匠は少しずつ変化を遂げ、最終的には写真の「F」になった。

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70年代になると後継機種のF2へバトンタッチされるのだが、数年間はF2と併売された。F2は機能的にもデザイン的にもFの無骨さをソフィストケイトしたわけだが、Fの信頼性、使用感に慣れたカメラマン達にすぐには受け入れられなかったと聞いている。シャッターボタンの位置は人間工学的に見てもF2の方が断然押しやすいのだけど「長年使ったFのために指が曲がってしまった」というのは有名な話である。この話、事実なのかどうかはわからないけど、そのような逸話、実話が山のようにあるのがニコンFというカメラなのである。

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直線基調のデザインは見ていて飽きが来ない。いつまでだって見ていられる(笑) すでにフィルムを消費することがなくなってしまったが、歴史的名機を手放す気にはならないのである。
posted by 生出 at 22:27 | Comment(2) | フィルムカメラ

2016年03月24日

Leialoha


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2004年7月下旬、たまたま書店で見かけた「アコースティックギターマガジン」が僕のギター熱を再燃させた。25年ぶりに「ちょっと頑張ってみるか!」 という気持ちがムラムラとわいてきた。その後、バックナンバーを揃えたり、ギターを新調したり・・・生活の中にアコギの占める割合が次第に増えていったのだった。

2007年7月発売の「アコースティックギターマガジンvol.33」で出会ったのが、わたなべゆうの作品「ガーベラ」で、楽譜と音源(付録CD)を参考 にして、一ヶ月くらいかかって、なんとか弾けるようになった。この曲は「オープンDチューニング」で演奏されていて、レギュラーチューニングとは違う、きらびやかな音にすっかり魅了されてしまった。後日、他の作品も聞きたくなってアルバム「Leialoha」を購入。このアルバムは3rdアルバムで07年12月にリリースされた。わたなべゆうは06年、横浜で行われた「フィンガーピッキングデイ」で最優秀賞を受賞する実力派ギタリストである。

「Leialoha」は「大切な子供へ」という意味だそうで、アルバムを通して優しさあふれるメロディラインと確かな演奏力が心地よい。まだ若い彼が今後どんな曲を聴かせてくれるのか、大いに期待しているところである。  
posted by 生出 at 07:53 | Comment(0) | 音楽

2016年03月23日

冷やし中華、はじめました。


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今期、お初の冷やし中華である。行きつけのスーパーにようやく陳列されているのを発見。首を長くして待っていたのであった。昨年3月24日にアップしたものと比べると、プチトマトで2個分、焼豚で1枚少なくなっているが、これはとくに理由はない(笑) クールポコからの突っ込みもないだろう。それにしてもクールポコのブログは2013年3月4日以来、更新されていないのが気になるところではある。

そうそう話は冷やし中華になるが、これはマルちゃんの「冷やし生ラーメン」という商品で、なぜか「冷やし中華」ではない。公式サイトでは「冷やし中華」のカテゴリーに入っているんだけどね。麺はもう少し太く、そしてスープの量も増やしてくれると嬉しいかな。
posted by 生出 at 07:47 | Comment(0) | 男の料理

2016年03月22日

オンステージ・ともだち


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懐かしいアルバムである。よしだたくろうのセカンドアルバム「オンステージ・ともだち」。音源は1970年4月18日に東京厚生年金会館で行われたライブで、アルバムの発売は翌1971年6月27日。僕が手にしたのは74年だった。当時僕は中学二年で、いわゆる耳コピでギターコードを探ることを少しずつ覚えはじめていた頃だった。ギターはモーリスのW30。レコードに合わせながら覚えたてのコードを適当に弾くのだが、たまに音が合うと嬉しくて仕方なかった。押さえられたのはC、G、D、E、A・・・などのローコードだけで、FやBmなどのいわゆるバレーコードは押さえられなかった。なのでバレーコードが出てくると、その曲はパスせざるをえなかった(笑)

このアルバムでいちばんのお気に入りは斉藤哲夫が作詞・作曲した「されど私の人生は」である。格好良さはもちろん、コードも簡単だったのでいちばん聴いた曲だった。「ともだち」も同様。少しずつ自分なりに弾ける曲が増えてきて、アルバムや楽譜も増えていき「たくろうと一緒に弾いている」感だけは充実していた。

  「されど私の人生は」

 もうどうでもいいのさ

 つまらぬことは 考えないで

 そこから道を 進むのさ

 それがもっとも 肝心さ

 幻の道は いくつにもわかれ

 ふりかえるときは すべては灰色に

 心の中は 荒れ果てつきて

 先を見ることさえ 苦しみ覚える

 変わる 変わる 目の前が

 変わってそれでおしまいさ

 されど私の人生は

 されど私の人生は

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あれからずいぶん時間が経ち拓郎もビッグになってしまった。それに伴いギター一本で気軽に弾ける曲はいまやほとんどない。ビッグバンドに合わせてギターを弾くのはちょっと淋しい・・・かな。やっぱりたくろうはエレック、CBSソニー、そしてフォーライフレコード第一弾の「明日へむかって走れ」までの印象が強い。自分の青春とダブっていることも大きな理由なのだろうね。
posted by 生出 at 07:28 | Comment(0) | 音楽

2016年03月17日

午前中に・・・


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吉田拓郎、エイベックス移籍の第一弾のアルバム「午前中に・・・」、2009年4月にリリース。全曲、拓郎が作詞作曲を手がけたアルバムだ。比較的新しいアルバムだなと感じつつもすでに7年という時間が経過していることに、ちょっと驚いている。感覚としては2〜3年前かなと・・・。この年、最後の全国ツアー「Have A Nice day LIVE 2009」を開始するも体調不良のため4公演で中止。このライブは「18時開演」という3枚組みのアル バムとしてまとめられ同年11月に発売された。3年後の2012年にはアルバム「午後の天気」を発売している。

拓郎にはまだまだ頑張って走り続けてほしい。でも拓郎も今年で70歳である。その事実にも驚きである。

 「ガンバラナイけどいいでしょう」

 きょうはいったい何が どうしちゃったんだろう

 胸の中のどこかが すっきりしない

 朝から頭の中も 重たい感じで

 動きたくないんだから 仕方ない
     ・
     ・
     ・

 追いかけすぎることは いけないんだね

 このごろちょっとだけ 悲しくなりはじめ

 君に会えるだけで しあわせなはずさ

     ・
     ・
     ・

 でも 頑張らないけどいいでしょう

 私なりってことでいいでしょう

 頑張らなくてもいいでしょう

 私なりのペースでもいいでしょう

アルバムの一曲目「ガンバラナイけどいいでしょう」は主治医とのやり取りの中で生まれたという。「好きじゃないことはやらないでゴロゴロしているほうが身体にいい」。云うとおりに「家でゴロゴロしていたら元気になった」そうで、日常をてらうことなく、さらりと素直に唄っている。

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愛や平和という大きなテーマを唄うのもいいだろう。でも日々の暮らしのささやかな出来事の中にだって、人の心に響く大切なメッセージはあるし、むしろそちらの方に説得力があるのかもしれない。そういえば最近、いろんな方の言葉の端々に人生の機微を感じる瞬間がある・・・僕自身もだんだんそんな年代になって きたのだろう。このアルバムを聴いて「老いることは決して好ましくも楽しいことでもない」のだけど、年を重ねたからこそ見えてくるもの、感じるものが、だんだん増えてきたことに気づかされた。
posted by 生出 at 08:24 | Comment(0) | 音楽

2016年03月14日

フォーク酒場


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週末は恒例のフォーク酒場が開かれた。今回は約30名の参加で、おひらきの時間も早かった。と云っても午前12時までやったのだから、大したものである。これは歌の力なのか、それとも中高年パワーによるものなのか・・・。云うまでもなく両方の力ですね。
posted by 生出 at 07:41 | Comment(0) | 音楽

2016年03月11日

Ray of Hope


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時間の流れを実感することが、戸惑いに似た気持ちになることがある。目を閉じてあの大きな出来事に思いを馳せてみる。すさまじい揺れに翻弄されている感覚がリアルによみがえる。我に返って目を開けると、今日は2016年3月11日である。あれから5年が経つが、心は、あの瞬間と今とを行ったり来りしている。そのたびに心が折れそうになる。

これから10年、20年、30年・・・と時間は容赦なく流れる。あの日を経験した人は、誰であっても例外なく・・・悲しみ、苦しみ、悔しさを忘れることも、捨て去ることも出来ないだろう。でもいつの日か、その切ない思いが少しでも和らげば・・・と願わずにはいられない。あの日が、いい意味で客観的に見られれば、きっとそのとき「希望の光」に向かっている自分になっているのかもしれない。

山下達郎が歌う「希望という名の光」(2011年8月リリースのアルバム『Ray Of Hope』に収録)は、(山下達郎本人も云っているが)図らずも、あの日を経験したすべての人のために作られた曲になった。震災に限らず、人生につまずいたとき、くじけたとき・・・この曲を聴いてほしい。

  「希望という名の光」

 この世で たったひとつの 

 命を削りながら

 歩き続けるあなたは

 自由という名の風

    ・
    ・
    ・
 運命に負けないで
 
 たったいちどだけの人生を

 何度でも起き上がって

 立ち向かえる力を送ろう
posted by 生出 at 07:57 | Comment(2) | 音楽

2016年03月10日

三菱Jeep


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細降る雨の中、懐かしい車と遭遇した。三菱Jeepで ある。こちらのヘッドライトのあたり具合で白っぽく見えるが、ボディカラーから判断するに最終限定車ではないかと思われる。あれほど走っていたJeep も、気がつくと目にする機会はほとんどなくなっている。前後共に板バネのクロカン車の代表と云えば、ほかにJimny-SJ30、JA11、 Landcruiser40、60、70系がある。基本的な構造はどれも同じ。そんなことからこの三台には親近感を覚えるのである。

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ひさしぶりに目撃したJeepと、ほんの少しの間、ランデブーをしてみたのであった。
posted by 生出 at 07:44 | Comment(0) | クルマ

2016年03月08日

キヤノンフレックスRP


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1954年(昭和29年)のフォトキナで1台の衝撃的なカメラが発表された。云わずと知れたライカM3である。その完成度の高さに日本のメーカーは完全に万歳。一眼レフカメラ開発にシフトする大きなきっかけとなった事件であった。1955年以降、日本の各メーカーから一眼レフの開発と発表が続いたわけだが、1959年(昭和34年)、ニコンFが発表されると報道関係者を中心に大きな支持を集め、それは日本を名実ともに一眼レフ大国へ押し上げる結果となる、大きな歴史的事件だった。

ライカM3、ニコンFの両機は、基本的な設計、完成度、耐久性・・・などに優れ、以降、後継機種開発に、ひとつの「思想」として連綿と引き継がれていくことになったのだ。ユーザーは「信者」と呼ばれることに何の違和感も抵抗もなく、むしろ「誇り」を持ち、ライカ教、ニコン教の布教のために尽力することとなる。

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さてキヤノンフレックスRPであるが、ニコンFから遅れること一年、1960年(昭和35年)に発表された。前年(昭和34年)にキヤノン一眼レフの第一号機「キヤノン フレックス」が発売されたが、わずか三ヶ月ほどでこの世から消えた。巻上げレバーがボディ底面にあり、三脚での撮影が不利であったのが、その理由のようだ。PRと同年には1/2000秒のシャッターを搭載した「キヤノンフレックスR2000」も発売された。ニコンF同様ファインダー交換も出来たし、スペックとしてはFの1/1000秒を上回る最高速度だったのだけど、Fを凌駕するどころか、足元にも及ばなかったようだ。アマチュアが支持していたペンタックスにも負けていた。ちなみに巻上げレバーは、相変わらず底面に位置されていた。

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キヤノンフレックスRPはR2000の簡易版としての位置づけで、固定式のファインダー、最高速度1/1000秒とスペックは抑えられていた。この時代、露出計はまだ外付けで、オプションとしてご覧のように大きく出っ張った「外部式露出計」を取り付けていた。同じ外付けでもM3用のライカメーターに比べると、デザイン的なスマートさは感じられない。デザインは度外視して、無理矢理一部屋を増築した感は拭えない。

TTLではないが、ボディに露出計が内蔵されたのは、62年(昭和37年)発売のキヤノンRM(拙ブログ2015年8月18日参照)であった。

ニコンとほぼ同じ時期にスタートしたキヤノンの一眼レフが、プロに認められるのは71年(昭和46年)のF−1からなので、まだまだ先のことであった。
posted by 生出 at 07:47 | Comment(0) | フィルムカメラ

2016年03月07日

北帰行


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この暖冬ですでに先月から白鳥達が北へ向かっていたようだ。今年はまともな雪景色も白鳥も撮れなかった。もやもやした気分が続いた冬であった。ちなみに鼻毛はいちども凍らなかった。
posted by 生出 at 08:01 | Comment(0) | 出逢いの妙

2016年03月05日

写真集『1500日震災からの日々』


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フォトジャーナリスト・岩波友紀さんの写真展が現在、東京銀座のニコンサロンで開催されている。このたび新日本出版社より氏の『1500日 震災からの日々』と題した写真集が上梓された。

「3月が近づくと、私たちの多くは「東日本大震災から何年」と思いを馳せ、復興を期待・想像する。だが、被災した人々のそれぞれに、それぞれの状況がある。「あれから何年」「被災地復興」という言葉ではとらえきれない、その【毎日】の現実を見つめ直すことで、震災とは何か、この国には何が足りないかも見えてくる写真集。」(新日本出版社のサイトより引用)
posted by 生出 at 11:34 | Comment(0) | 写真展・絵画展など

2016年03月03日

オリンパス・ワイド


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上部の丸い大きな二つのダイヤル、そしてファインダー、採光窓、エプロン部の四角、ボディも角っぽい・・・デザイン的には実にシンプルで愛嬌のある「オリンパス・ワイド」、昭和30年に発売された。

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昭和30年と云うとトヨペットクラウン、ソニーのトランジスタラジオが販売を開始した年である。国家公務員の大卒初任給が9千円弱(人事院資料)の時代、 オリンパス・ワイドは1万7千円近くもする高級カメラであった。車、電化製品、カメラ・・・少しずつではあるが、国民生活の中に「いつかは◯◯◯を手に入 れたい」と夢を描けるような時代に入ってきた。

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ライカ、ニコンなどのレンズ交換式高級カメラは別として、一般コンシューマー向けのカメラには焦点距離50ミリが固定されているものが多かった。なので35ミリ付きのこのカメラ、爆発的に売れたのだという(オリンパスのサイトより)。焦点距離35ミリはまぎれもなく広角レンズのカテゴリーに入るのだけれど、いまの感覚で35ミリレンズを「ワイド」と呼ぶには、いささかオーバーに感じるわけだが、そこは時代である。

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さて、いうまでもなくこのカメラに電池は必要ない。露出、ピント合わせ、フィルム巻上げ、巻き戻し・・・すべてが撮影者の判断にゆだねられる。ファインダーを覗いても距離計が内蔵されていないので目測で決める。フォーカシングリングの2メートルと5メートルは赤文字になっていてクリックストップする。スナップ撮影では咄嗟の判断が求められるわけだが、きっとオリンパス・ワイド使いの達人ともなると、露出もそうだろうけど、辻斬りの如くパッパッと合わせることが出来たことだろう(実際そういう人がいたかどうかは不明だけど・・・)。愛嬌のあるデザインではあるが、使いこなすにはそれなりのスキルが求められるカメラである。

露出もピントもオートという概念の無い時代、カメラの操作を身体に覚えこませる鍛錬は・・・程度の差はあれ・・・誰もが通らなければならない道であった。 ときには頭を三角や四角にすることもあっただろう。でも納得のいく写真が撮れたとき、きっとワイド使いのカメラマン達は満面の笑みを浮かべて、このカメラを撫でまわしたに違いない。
posted by 生出 at 07:32 | Comment(0) | フィルムカメラ

2016年03月01日

三月


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三月の声を聞いたとたんに冬将軍が暴れ出しました。今になってと云う感があります。会津若松も久しぶりの雪化粧です。積雪量としては数センチなので、生活に支障が出るということはまずありません。

宮森さんのカレンダーに描かれた猫ちゃんではありませんが、先月下旬に盛りのついた猫の声を耳にしました。年々春の訪れが早くなるようです。某企業のカレンダーでは3月だというのに桜の写真が使われていました。僕の季節感とはまったく異なります。世間様の季節感も次第にズレていくのかもしれませんね。
posted by 生出 at 08:01 | Comment(0) | M's works