1998年11月リリースの「いきのね」、下田逸郎と内田勘太郎二人によるアルバム。下田逸郎は若かりし頃、濱口庫之助に師事したことがあった。下田自身も多くのミュージシャンに楽曲を提供している。その中には桑名正博、松山千春がいる。桑名正博が唄う「月のあかり」は名曲中の名曲。
下田逸郎の基本的なスタイルは、抑揚が少なく且つ朴訥な歌声、そしてストロークのみのギター演奏はデリカシーが無く聴くものをまるで突き放すかのように感じることがある。唄うことへの執着と云うか、奏者としての心意気というか・・・すべてが独特である。うがった見方かもしれないが、まるでこの世に未練がないのではと思うほどに素っ気ない。下田逸郎の
公式サイト内にはこんな表記がある。
「あの世発 この世経由 あの世行き」・・・あたかも輪廻を悟ったかのようである。なのでこの世に執着が無いのは当然で、そこから来る思いが現在のスタイルを形成したのだろう。実際に下田自身、いろいろあったようである。
しかしそんな下田のスタイルに惹かれるのは、彼の世界観に非日常的なものを感じたいと云う我々の潜在意識というか・・・欲望があるからだろうか?何らかの救いとまではいかないまでも、生きていく上での不安、不満、迷いその他もろもろの正体を知りたいという根源的な欲望があるからかもしれない。

「ごいっしょにどうぞ」
ほんとうのことが なんなのか
知りもしないのにどうして
嘘つくことだけは できるのでしょうか
もしかして
嘘からしか本当のことは
生まれない・・・のかな
アザトさはもっと素直に晒しましょう
せつなさも儚さもいっしょうにどうぞ
ふしあわせさえ知らないで
私とてもしあわせだと
微笑みながら云うあのひと不気味
もしかして
錆びついた振り子が
完全に止まった・・・のかな
わがままはもっと素直に揺らしましょう
せつなさも儚さもいっしょうにどうぞ
ほんとはひとりさみしくて
誰でもいい 今夜は心の隙間
うずめたい・・・だけかな
もしかして
あなたもそう思って強がって飲んでるのかな
欲望はもっと
素直に認めましょう
せつなさも儚さもいっしょにどうぞ
内田勘太郎のギターが下田逸郎の世界と絶妙にシンクロしている。内田勘太郎といえば、いまさら云うまでもなく「憂歌団」のリードギタリスト。考えるまでもなくブルースはソウル(魂)であって、あの世とこの世を行き来する魂といっしょになって奏でる曲が、われわれの魂を揺さぶらないはずがないのである。「いきのね」はそんなアルバムなのである。