
70年代を代表するフラッグシップ機のひとつがニコンF2だ。対極にはキヤノンF−1がいた。報道のニコン、コマーシャルのキヤノンという構図もあった。
写真はAi化する前のF2フォトミックS。NikonのKの文字の下に、装着したレンズの絞り値をファインダー内の露出計へ伝えるための爪がある。レンズ装着時には絞り環を5.6に合わせるのがお約束のひとつ目。お約束のふたつ目はレンズ装着後、絞り環を開放側へガチャ、それから最小絞り側へガチャ。この儀式を経て開放F値が露出計へ伝わるのだった。
急いでいる時に、この儀式はさすがにイライラした。とはいえ、天下のニコンのやり方にユーザーは従うのが一般的で、当局にもの申すなどと云う大胆な行動は慎むべきという雰囲気があったように記憶している(ちょっとオーバーな言い方か)。
しかし天下のニコンとはいえユーザーの声に応えるため、77年遂にレンズの開放F値を自動でカメラボディに伝える方式を採用することになった。これがいわゆるAi(Automatic Maximum Aperture Indexing)化で、ニコン党にとっては正に天下分け目の関ヶ原であった。Ai化前のボディ、レンズを「非Ai」と称し、あからさまな差別化がはかられたのだ。他社ユーザーから見れば「それって普通になっただけじゃん」ということなのだが・・・。

さて、FからはじまったF一桁シリーズは、上の写真のように各部が本体から取り外すことができ、撮影意図に合わせたオプションを取り付けることが出来た。ファインダーだけでもアイレベル、ウエストレベル、アクションファインダー、露出計内蔵ファインダー(フォトミック、同A、同S、同Sb、同As)があった。フォーカシングスクリーンは、どのくらいあったのだろう?他にモータードライブ、250コマ/750コマ、フィルムマガジン・・・などなど、まさに至れり尽くせりの(無駄な?)システムが構築されていたのだった。
恥ずかしながらそのむかし、手元のF2を上のようにバラして「ふふふ・・・」と毎夜のごとく、ほくそ笑んでいたのは何を隠そう、この僕なのであった。