
田植えにはまだ早いこの日、僕は吸い寄せられるように彼のところへ車を走らせた。周囲の雪はすっかりなくり、徐々に緑が芽吹いていたのだった。心配をよそに彼は相も変わらず苦り切った表情で僕を迎えてくれた。こんな顔を見ていると「歓迎されているのだろうか?」とついつい不安になってしまう。でもこれが彼の精一杯の表情なので致し方ない。
今年は雪が多く、冷たい雪の下で春の日差しを心待ちにしていたに違いない。しかし彼は春を迎えた喜びよりも遥かに大きな苦悩を抱えているような表情だ。それはなんなのだろう?傍らのペットボトルは昨年最後に会った9月から別なものへと差し替えられていた。無造作に枝が突っ込まれていたが、これはどんな意味があるのか?ますます謎が深まる彼なのである。
彼は僕に心を開くどころか、ますます閉ざしてしまったようにも見える。ふと思った。彼にも名前があるはずだ、と。で、僕は彼の表情をじっくり眺め彼の名前を決めた。「さいとう」くんと呼ぶことにした。なぜならT高校の同級生のさいとうくんにそっくりだったからである。名前で呼べば彼も少しは心を開いてくれる・・・かな?