私の敬愛する写真家でもあり弁護士の斎藤利幸氏より、下記メッセージが届いた。ご本人のご許可をいただいたので2回にわけて全文掲載いたします。なお下記記事は福岡の情報誌IBに掲載されたものである。
原発に依存する社会・しない社会
1 私は、昨年の3・11東電第1原発事故により、故郷の福島県郡山市から、現在の福岡県に難を逃れた。
2 野田首相は昨年12月16日に「発電所の事故そのものは、収束に至ったと判断される」と事故収束宣言をした。?しかし実際は、福島県民にとっては悲惨極まりない原発事故の加害者である佐藤雄平知事(それまでの栄佐久知事が反対していたプルサーマル政策を受け入れてしまい、その半年後に今回の重篤な事故が発生した。事故が起きても県民に正確な情報をださず、深刻な放射能汚染に晒し、国・県の宝である子供の避難さえおこなおうとしない)でさえ「事故は収束していない。多くの県民は不安を感じている」と反論した。
実際、第1原発4号炉にある使用済み核燃料棒1535本は、水素爆発でぼろぼろになった建屋の2階(地上高30b)のプールに保管されており、これが崩落したり、ひびが入って水が無くなる事態に陥ると、崩壊熱により燃料棒溶融、そして極めて大量の放射性物質がそのまま外界に放出されてしまうという恐るべき事態が生じる。それだけでなく、4号炉のすぐそばには共用のプールがあり6400本の使用済み核燃料がある。この管理も不可能となって想像だにできない事態に陥る。少なくとも北半球は終わりを迎えるといわれている(
http://kaleido11.blog111.fc2.com/blog-entry-1198.html)。
また、1・2・3号機については、そもそもメルトダウンした核燃料に全く手をつけることが出来ず、放射性物質も出っ放しである。この様な惨憺たる状態であるにもかかわらず「事故そのものは収束」とは、厚顔無恥も甚だしく、原発事故に対する完全な無知を世界中にさらけ出てしまった。しかし、その後の言動を見ると、無知であることすら気付いていないようで、原発の再稼働に躍起となっている。この期にいたって何を血迷っているのか、福島の犠牲を完全に無視した不遜な言動は、近いうちに手痛いしっぺ返しを受けるであろう。
問題は、なぜこのように闇雲な原発依存に突っ走しる、その背景は何なのかであり、是非解明しておかなければならない。
3 原発依存社会を維持しようとする理屈はいろいろ言われているが、そんなことは全て表眼的なことであり、単なる衣である。衣の中身が問題なのである。それは原発の本質は何なのかに関わる問題である。
ここでまた、原発に着せられたいろいろな衣を取り去ってみて、残るものは何か。それは人間のみならず、生命とは相容れない放射性物質を生み出し続ける存在であることである。電気などは化石燃料や、自然エネルギーでも作れるのであるから、原発の専売特許でも何でもない。むしろ発熱の3割しか電気に変換できないのであるから、極めて効率の悪いエネルギーに過ぎない。他にない特性は、極めて危険な放射性物質を生み出し続けることである。しかも、生み出された放射性物質については、その管理方法すら見つかっていないのである。
今回の事故ではっきりしたように、人間は放射性物質については全くコントロールできない。福島並びに近隣諸県、関東圏までは、放射性物質に蹂躙されるがままである。しかも、一回性のものではなく、今後予測も出来ないような長期に渡って生命を脅かし続ける。環境に放出されなかった放射性物質も、今後10万年単位での管理が必要といわれており、我々の後世代はその後遺症に苦しまなければならない。
4 原発に依存する社会を維持しようとする人々も、原発のこの様な他のエネルギーにはない絶対的なマイナス面を、当然承知しているはずである。また、今回の福島の悲惨な事故を見て、事故における害悪の防止不可能性も分かったはずである。ことに枝野氏は菅政権の中枢にいて、事故対応に追われたのであるから、肌身を持って、放射性物質がいかに始末に負えない反生命物質であるかを知ったはずである。それにもかかわらず原発依存をやめようとしない背景は、一体何なのか。
写真は斎藤利幸氏