2017年04月27日

ニコンF2フォトミックA


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1977年にニッコールレンズがAi化されたことは、2014年7月2日の拙ブログで触れた。Ai化にあわせ露出計内臓のファインダーのデザインも、ほんの少し洗練され、以前のフォトミックボディより見た目に軽快さが増した。正面から見てファインダーの右下に「A」の文字が刻印されている。ファインダーの型式はDP−1からDP−11へと変更。受光素子はCdsのまま変わりはない。

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Ai化で、レンズの露出計連動の爪は肉抜きされ、非Aiレンズとの見た目の差別化がされた。実はAi化のいちばんのポイントは、この爪ではなく、レンズの絞りリングにあった。Ai化ボディは絞りの情報を受けるためのレバーがレンズマウントの外周部に移設され、絞りリングに新設された突起と連動する。F2に限ってはファインダー側に、絞りレンズの突起と連動するレバーが新設された。なんだかよくわからない方は、頑張って理解する必要はありません(笑)

さて・・・F2を手にすると、いまだに臨戦態勢に近い気持ちにさせられる僕なのであった(笑) そんな気持ちにさせてくれるカメラは、そうはない。例えF2が手元になくてもフィルム巻上げ、シャッターレリーズ、フィルム巻き戻し、裏蓋の開閉の感触など、目を閉じれば(閉じなくとも)鮮やかに蘇るのである。

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ボディ底面には、普通のカメラには無い接点や摘みなどがある。いかにもプロが使う道具っぽい。当時はここを見て高嶺の花だったモータードライブ・MD−2を装着した姿をイメージしたものだ。ファインダーを外した姿にもグッとくる。カタログでしか見たことのないアクションファインダーを付けたら、きっと格好いいだろうな・・・とか、あれやこれや妄想を膨らすだけでも2〜3時間(ウソ)はつぶせたものだ。

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Fにはじまるニコンのフラッグシップ機は、かろうじて現行品としてF6がある。うち完全機械式なのはFとF2だけだ。その後の経緯は皆さんご存知の通り。デジタル時代のフラッグシップ機ではネーミングに「F」の文字は使われていない。フィルムを使うカメラだからFなのか、デジタルだからDなのかはわからないけれど、現在ニコンのフラッグシップ機がD5であることを、恥ずかしながらよく知らない僕なのであった。
posted by 生出 at 08:26 | Comment(0) | フィルムカメラ

2017年04月25日

会津鉄道


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わが家から車で10分も走れば、こんな長閑な風景が広がっている。桜の撮影をしていたら、ふいに踏切が鳴りはじめ、線路がカタン、コトンと音を立てる。一両編成の車両が田島を目指す。望遠ズームにはテレコンが付いていて、もうちょっと画面に余裕が欲しかったけど、まぁ〜いたしかたあるまい。
posted by 生出 at 08:26 | Comment(2) | にわか鉄ちゃん

2017年04月21日

キノコたっぷりの卵とホウレンソウ炒め


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冷蔵庫の中のブナシメジとエノキダケが、ややくたびれモードだった。活きのいいホウレンソウが手元にあったので一気に作ったのであった。味付けは醤油と胡椒、少量のバター(風味のマーガリン)。ベーコンがあれば、なおよかったかな。
posted by 生出 at 08:12 | Comment(0) | 男の料理

2017年04月19日

Exa type1.3


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一目見て、クラシックカメラ同好会のおじさん達が好みそうなデザインだなと感じた。僕がExa(エクサ)を手にしたは二度目のこと。このカメラの正式な機種名などはよくわからない。ネットで調べたところ、たぶんExa Type1.3ではないかと思われる。初代Exaは1950年に販売された。バリエーションは非常に多いと聞いている。Type1.3は52年の販売。それ以前、Kine Exakta(キネ・エクサクタ)という機種があり、これは1936年(昭和11年)に世に送り出され、35ミリ判一眼レフの元祖といわれている。ExaはKine Exaktaの普及版として登場した。

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シャッター速度はレバーによる切り替え式。まるでオートマ車のシフトレバーのようだ。シャッターは非常に得意なもので、ミラーシャッターというもの。シャッター速度はB、25、50、100、150の5段階。実にシンプルである。

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ファインダーは交換式で、ウエストレベルファインダーのほか、アイレベルプリズムファインダーも用意されていた。バラしてみるとシステマチックなカメラであることがわかる。レンズマウントはエクサクタマウントと呼ばれ、東京光学、マミヤ、オリンパス、コムラー、カールツアイスなどがレンズを製造していたというから、あの時代、かなり普及したカメラであったのだろう。しかし、いまはむかし・・・なのであった。
posted by 生出 at 08:36 | Comment(0) | フィルムカメラ

2017年04月16日

早春の猿


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なんの木か判らないが、芽吹きの準備をしている枝をムシャムシャと頬張っている猿がいた。処は裏磐梯剣ヶ峰のセブンイレブンの裏。裏磐梯の銀座と言われているところである。桧原湖の湖面は、まだ雪に覆われていて、桜の咲く中通り、浜通りとは一ヶ月以上遅れている。裏磐梯は、まだまだ早春の様相である。
posted by 生出 at 22:37 | Comment(0) | 出逢いの妙

2017年04月13日

冷やし中華


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今年、お初の冷やし中華。毎度代り映えのしない具材である。春だというのに冬型の気圧配置。部屋には暖房が入っていた。しかし食べたかったのである。トッピングのゴマと海苔を見て「これはマルちゃんの冷やし中華だな」とわかった貴方は、きっと僕同様、好きなんだろうね。
posted by 生出 at 08:11 | Comment(0) | 男の料理

2017年04月08日

雪解け水


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今日、福島市で桜の開花宣言があった。合わせるように磐梯吾妻スカイラインの冬の通行止めも解除された。これから春が一気に加速する。喜多方市の、ちょっと山に近い地区では雪解け水が、これでもかっ!の勢いで流れていた。長靴がないと歩けないほどだ。それにしても凄まじい水量だ。

家庭用の浴槽なら、ほんの数秒で溜まってしまう。ただ流してしまうのは、実にもったいない・・・と貧乏性の僕は思うのであった。
posted by 生出 at 22:29 | Comment(0) | クルマ

2017年04月07日

やぁ。


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加川良のサードアルバム「やぁ。」1973年に行われたライブ音源をまとめたのが本作である。会場は、渋谷の「ジャンジャン」、名古屋「勤労会館小ホール」、豊田「勤労会館ホール」、お茶の水「日仏会館」の四ヶ所。CDの帯には「野外コンサートでもスタジオでもなく、加川良の魅力が最も発揮される小ホールでのライブ録音を集めた サードアルバム」とある。中川イサトがギター、オルガンなどで全面的にバックアップをしている。

加川良は1970年の第二回「中津川フォークジャンボリー」に飛び入り参加し、「教訓T」を歌ったのがきっかけでプロデビューした(なぎら健壱も同じ回に出演しプロデビューを果たした)。

昨日、衝撃的なニュースが入ってきた。4月5日、急性骨髄性白血病で、容態が急変し入院先の病院で亡くなった。69歳だったという。

デビュー後、数年間は吉田拓郎と人気を二分したことがあった。拓郎はフォークソングから離れ、よりポップな方向へと進み大衆から大きな支持を集めたが、加川良はストイックなまでに自分のスタイルを貫き、一線を退いたのか?と思われるほど、その名を目にすることが少なくなった。

しかし活動は続いていたのだ。ギター一本で全国を回り、小さなライブ会場で歌うスタイルは、昨年まで健在だった。あの独特の声と、微妙な音程の節回しは、もう過去の録音でしか聴くことができない。

このアルバムの2作目に収められている「夜汽車に乗って」(シバ作)が、いま、とても沁みる。


 夜汽車に乗って
  
 呼んでるよ 呼んでるよ

 夜汽車がさ 呼んでるよ

 どこへ行くのかね 夜汽車に乗って
 
 どこへでも どこへでも

 行くだろうさ どこへでも

 誰と行こうかね 夜汽車に乗って
 
 行きたかないね どこへもさ
 
 どこへもさ 行きたかないね
 
 でもここにゃいられない で 夜汽車に乗って
posted by 生出 at 12:33 | Comment(2) | 音楽

2017年04月06日

雅の木


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珈琲舎雅の扉を開けると、まずマスターのウェルカム、そして入り口左側におかれた木からもウェルカム。僕はウェルダム、腕を噛む・・・と村上ショージのギャグを悟られないように、そっと呟く・・・。

さて、この木は2012年11月25日にブログで紹介して以来の登場。約4年ぶりに撮影をした。木は成長にともない、鉢も交換されていて、なにより背も伸びた。けっきょくこの木が何と云う名前なのか・・・いまだにわからない。カウンター席に座り、たまにこの木の視線を感じながら、美味しい珈琲をいただくのが、僕の至福の時間なのである。
posted by 生出 at 08:20 | Comment(0) | 馴染みの店

2017年04月04日

Firefly


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Emily Remler(エミリー・レムラー)というジャズギタリストを知ったのは、実はつい最近のこと。ジャケットに写っているのが、そのひと。愛用のギターはGibson ES−330だ。「Firefly」は1981年にリリースされた彼女のファーストアルバムである。

僕自身、ジャズギタリストについての知識は、あまりないのだが、当時、女性のギタリストは珍しい存在だったらしい。過去形を使ったのは・・・彼女は1990年にツアー先のオーストラリアで亡くなってしまったからだ。享年32歳だったという。生前に6作、死後に1作、合計7作のアルバムが作られた。

YouTubeには生前の彼女のプレイがいくつかアップされている。

 

こちらの動画は、もうひとつの愛用ギターOvationでのソロ演奏。かっこいい!

 

早すぎる死は、ほんとうに残念としかいいようがない。
posted by 生出 at 08:21 | Comment(1) | 音楽

2017年04月02日

二週間後


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3月21日にブログにアップした場所へ再び行ってきた。あれから二週間が経ち、その間、二度、三度と本格的な降雪があった。なので残雪の量はあまり変わっていないように見える。とくに怪しい足跡は付いていなかった。


posted by 生出 at 22:58 | Comment(0) | クルマ

2017年04月01日

四月


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4月の第一日目は曇り空の会津です。山には雪が降ったようです。すでに各地で桜の開花は進んでいますが、気温の低い日が続き、まだ満開を迎えたところはないようです。昨年は福島市で3月30日に開花宣言がされましたが、今春はもう少し先になりそうです。その分、気持ちに余裕が持てます。季節は少しずつ、ゆっくり進んで季節の移ろいを、じっくりと味わいたいものですね。
posted by 生出 at 12:41 | Comment(0) | M's works

2017年03月28日

登り窯


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久しぶりに登り窯(会津美里町指定文化財)を拝んできた。何年ぶりだろう。前回(たしか15年以上むかし)は、ちょうど窯出しのタイミングでお邪魔した。焼きあがった作品を、ひとつひとつ確認しながら運び出している七代目当主と、現在の当主、宗像利浩氏の姿が印象に残った。2011年3月11日の東日本大震災で大きく崩れてしまった登り窯だったが、2012年5月には修復が完了し、今回2回目の火入れが行われるという。いまから楽しみである。

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宗像焼は、いわゆる民芸の流れをくむものであり、野良で働く娘の素朴な美しさがある。そこが魅力だと思っている。
posted by 生出 at 12:41 | Comment(0) | その他

2017年03月27日

ジャズの店


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知り合いが馴染みという店に誘われた。壁に飾られた一枚の絵が、この店を象徴している。

数人の客がカウンター席に座ってジャズ談義をしていた。おもむろにピアノが弾かれ、そしてベースとギターのセッションがはじまった。

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聴かせる演奏をさらりと演るっていうのは、よほど研鑽を積まれたのだろう。

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音楽のある、いい時間を過ごさせてもらった。
posted by 生出 at 08:08 | Comment(0) | 音楽

2017年03月25日

第13回写団ふくしま風景讃美写真展


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すでにご案内いたしましたが、写団ふくしま「風景讃美」写真展の福島展が福島テルサ(福島市上町4−25)で昨日から始まりました。会期は来週月曜日(3/27)までです。明日は午前10時〜午後5時まで、最終日は午前10時〜午後3時までです。短い会期ですので、お見逃しのないよう、ぜひ足をお運び下さい。
posted by 生出 at 22:43 | Comment(0) | 写真展・絵画展

2017年03月24日

ミノルタX−700


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いまさらのことだけど・・・社名のミノルタは「実る田んぼ」にあやかり、同社のロッコールレンズは兵庫県の「六甲山」から命名されたのは、よく知られているところだ。すでにカメラメーカーとしてのミノルタは無くなり、現在はデジタルマーケティングソリューション、デジタルマニュファクチャリングサービス、医療向けソリューション、デジタル印刷サービス・・・などが主な事業で、社名は「コニカミノルタジャパン」となっている。

事業内容を見ると、一般コンシューマーには馴染みの薄い会社になってしまったんだなぁ〜との印象はぬぐえない。遠いところへ行ってしまったミノルタなのであった。

そんなミノルタが1981年から1999年までの18年間、作り続けたのが「X−700」だった。このカメラのいちばんの売りはMPS(Minolta Program System)というプログラムモードだった。基本的にX−700は、マニュアルカメラであるが、プログラムモードを搭載することにより、露出合わせの煩わしさから解放されたい向きにはうってつけだったと思われる。カタログによると「一眼レフを初めて使う方でもすぐれた映像を簡単に映し込めます」とある。操作は「シャッターダイヤルをPに合わせ、絞りを最小絞り値にセッティングします。あとはピントを合わせ、感じるままにシャッターをレリーズするだけ」と、簡単さが強調されている。

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露出オート機能が付加されたカメラでは、シャッターダイヤルをAまたはPにセットすると回らなくなるのが一般的になった。絞りについても同様である。いつしかA、Pで固定されたシャッターダイヤルと絞りリングは、その役目を終え、いまやシャッタースピード、絞り値を視覚的に確認できるダイヤル、リングは廃止されてしまった(いま現在ニコンDfではシャッターダイヤルが、ライカM10ではシャッターダイヤルと絞りリングの両方が健在だ)。

さてX−700に話は戻るが、18年の長きにわたり製造が続いた大きな理由はどこにあったんだろう? ニコンF3、キヤノンNewF−1のような支持があったわけでもなく、これといった機能的な特徴もなく、ちまたでX−700使いのおっさんやお兄さん、お姉さんも見たことはない。確固たる根拠はないが・・・きっと海外ではシンプルな構造に対して、国内よりも支持が高かったのではないかと想像をしている。国内では85年に発表されたα7000が爆発的に売れていて、Xシリーズの明確な存在意義は見出せなかった。国外用を、おこぼれ的に国内で販売したのではないか、というのが僕の見方である。あくまでも想像の域は出ない話しだ。

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ミノルタの現状については上述したとおりである。実った田ぼは、いずれ刈り取られる。ソニーに刈り取られた?αシリーズが、新たな苗となり新境地を開拓することが出来るか、カメラが売れなくなったと云われてひさしいいま、カメラ業界そのものが、誰かに刈り取られるのか、それとも放棄された休耕田のようになるのか・・・。

あまり暗いことは考えないようにしよう。
posted by 生出 at 12:38 | Comment(0) | フィルムカメラ

2017年03月21日

たっぷりの残雪


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3月の下旬、ほとんど雪の無い市街地だけど、ちょっと足をのばし山に近づくと、まだまだたっぷり雪が残っている。これからの気温の推移にもよるだろうが、あと一ヶ月も経つと、ほとんど消えてしまうのだから、お日様の力はすごいなぁ〜と思う。画面左側、斜面のやや大きな足跡は・・・誰のものだろう。だんだん警戒した方がいいのかな?
posted by 生出 at 08:36 | Comment(0) | クルマ

2017年03月19日

ビーフシチュー


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以前から作ろう、作ろうと思っていたのだが、なかなか手の出なかったビーフシチューにチャレンジしてみた。チャレンジというほどではないか・・・。

選んだルーはS&Bの「カフェ風濃いビーフシチュー」だ。作り方はクリームシチュー、カレーなどと同じなんだけど、どうも美味くいかなかった。味に深みがなく、しょっぱさが先に立ってしまい、一口目でテンションが下がってしまった。牛乳で味を調整してみたがダメだった。

僕の作り方の問題なのだろう。翌朝なら味に深みが出るだろうと期待したのだが、前夜と同じでさらにテンションが下がったのであった。
posted by 生出 at 22:24 | Comment(2) | 男の料理

2017年03月17日

独り酒


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毎度お馴染み「呑み喰い処・だいじょうぶ」である。先週末、ふらりとよってみた。午後6時20分くらいだったかな。

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とりあえず生をひとつ。お通し突っつきながら喉を潤す。

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まずは焼き鳥を。つくね、ネギ間、レバー・・・など。「おまかせ5」という「だいじょうぶ」の定番メニューだ。

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2杯目の生は「冷や奴」で。

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3杯目は「ポテトサラダ」を頼む。ゆで卵はマスターのサービスだ。ラーメンに使うやつ。

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3杯の生では、ちょっと口寂しかったので、〆は麦焼酎の水割りを。時計は9時を少し回ったところだったように記憶している。会計を済ませ、よろよろと宿へと向かったのであった。
posted by 生出 at 08:17 | Comment(4) | 馴染みの店

2017年03月14日

スピードグラフィック ミニアチュール


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スピードグラフィック(通称スピグラ)はアメリカのグラフレックス社が開発したカメラで、1912年の登場以来、約60年間、世界各国の報道カメラマン御用達の名機で第一線で活躍した。報道カメラマンといえばスピグラという一時代があったのだ。フォーマットはシノゴ、ブローニーなど大中判のフィルムを使用。日本には第二次世界大戦後に普及した。普及したといっても一般コンシューマーにではなく、あくまでも報道各社の写真部に、との但し書きがつく。

普及のきっかけは進駐軍からの横流しや、本国へ帰る米兵から譲り受けたりしたのがはじまりだという。50年代になって、ようやく正規輸入されることになったが、対象は報道関係者だけに限られていた。なのでスピグラを使っていれば、それはイコール新聞社のカメラマンということで、身分証になるほどだった。

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使いこなすには熟練の技が必要とされた。構造上、連写は出来ないから、まさに一写入魂!一枚の写真に込める気迫は鬼気迫るものがあったと想像する。暗い場所での撮影は一枚撮るたびに電球を交換するフラッシュバルブが使用されていた。

一般的なシノゴカメラと異なるのが、レンズシャッターのほかに、ボディにフォーカルプレーンシャッターが搭載されているところだ。1/1000のシャッターまで切れるようになり、動きの早いスポーツ撮影には重宝した。写真の型は、6×9のカットフィルムしか使えないタイプなので、バック部の取り外しが出来ず、フォーカルプレーンシャッターをお見せできず残念。中にはロールフィルムホルダーを取り付けられるように改造する器用な人もいたという。

フォーカルプレーンシャッターの巻上げ、レリーズはボディ側面のレバーで行うようだが、どう操作するのかは、よくわからない。

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日本でのスピグラの全盛時代は意外に短く東京オリンピックまでだった。やはりニコンFの登場が大きかった。毎日新聞社がニコンに切り替えたのを機に、各社は堰を切ったようにニコンを中心とした小型カメラへの鞍替えを行った。その後、空撮などの限られた用途以外、使われることも少なくなり、報道各社から消えたのが1970年頃だった。

栄枯盛衰はどの世界にもあることで致し方のないことだが、1976年に日本のカメラメーカー「酒井特殊カメラ製作所」は最終モデル「スーパーグラフィック」の知的財産権を譲り受け「トヨ・スーパーグラフィック」として1987年まで製造を続けた。その後、トヨビュー、トヨフィールドなどのシノゴカメラにスピグラの魂は引き継がれた(と、僕は思っている)。同社には現行品として、いまもなおシノゴカメラおよびオプションのラインナップが充実していて、シノゴ使いにとっては数少ない駆け込み寺的存在なのである。
posted by 生出 at 12:44 | Comment(0) | フィルムカメラ